私の宇宙からこんにちは、natanです。
このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第41回放送時のトーク内容全文をご紹介します。
本日のトーク内容
これまでの振り返り
私たちの自我意識はまだまだ幼い
さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
これまでユング心理学の元型、そして神話についてお話してきました。このお話をはじめたきっかけを改めて振り返ると、私たちは無意識の世界と繋がることで、宇宙的な力を得られたり、高次の世界へアセンションできると、安易な考えを持っているところがあります。
しかし、意識進化の歴史をみてみると、私たちの祖先は、混沌とした広大な無意識の海から、たいへんな苦労の末に、自我意識を獲得してきていることがわかります。さらに、古代において、神として人間を操っていた強大な力は、元型という心的機能となって、今現在も私たちの集合的無意識内で変わらずに生命を持ち続け、私たちの意識を操っています。
ですから、私たちは無意識と繋がるどころか、広大な無意識の海である大いなる母からそもそも自立できていない自我意識であることが見えてきました。そのため、自我をしっかり確立しないと、あっという間に去勢されてしまう、つまり、母なる無意識の中に自我が溶解してしまう危険性をもっています。
自我意識が幼い現状において、無自覚に「無意識や宇宙と繋がりましょう」という教えは、たいへん危険なものだと私は考えています。
自我意識を正しく育てるということ
私たちがやるべきことは、自我意識を「正しく育てる」こと。
スピリチュアルだけでなく、ヌーソロジーでも自我意識について、あまり良い印象で語りません。その理由は、スピリチュアルやヌーソロジーが良くないとする自我は、超自我である父的ウロボロスに同一化することによって、自我肥大を起こした、利己的な私利私欲にまみれたエゴだからです。
ユング心理学では、自我がかぶる仮面として「ペルソナ」という元型があります。ペルソナという元型は、社会生活を営むうえで欠かせない元型だと考えます。息子や娘、夫や妻、父や母、後輩や先輩、部下や上司など、私たちは場面ごとにふさわしい仮面をつけて、社会生活を営んでいます。
しかし、この仮面であるペルソナに、多くの自我が同一化してしまっている現状があります。仮面を適切に脱ぐことができなくなっている、この現象も自我の確立がされていないことが要因だと考えます。
昨今、人間の感情は劣化していると社会学者宮台真司さんは考察していますが、感情の劣化とは、感情を感じない、ということではなく、自分自身の感情に気づけない、そしてそれに対処できないため、結果的に、その人の無意識内で感情が怪物のように大暴れしてしまう、ということを指しています。ですから、自我肥大の裏では無意識内で感情が大暴れする危険性があります。
自我を正しく育てれば、適切にペルソナという仮面を外すことができ、本来の自分に戻ることができます。さらに、感情をうまくコントロールすることもでき、その感情を通して、他者のことも思いやることができるようになります。
無意識もいまだ未成熟
さらに私の考えとしては、自分の無意識を育てるのも自我意識だと考えています。なぜなら、英雄神話で英雄がお姫様を救出するシーンがあるように、お姫様である無意識は、英雄である自我の助けがない限り、大いなる母とずっと一体化しているからです。
つまり、私たち一人ひとりの無意識は、まだ大いなる母の無意識と一体化しているということ。それは言い換えると、私たち一人ひとりの無意識はまだまだ未成熟であり、今現在は母の無意識の力を借りて、自身の無意識を活動させている、と言えるのではないかと考えます。
母なる無意識や集合的無意識に埋もれている自分の無意識をしっかりと獲得するためには、対象化や分断を機能としてもつ、自我意識が能動的に動かないといけないと考えます。自我意識が、広大な暗黒の無意識の海から自身の無意識を拾い上げるのです。これが英雄神話で描かれる、お姫様の救出を意味することだと考えます。そのためにも、まずは自我意識を正しく育てる必要があると考えます。
今日は、自我意識を正しく育てるためには何が必要か、についてお話をしてみたいと思います。
自我意識を育てるために必要なこと
個性化について
ユング心理学では、無意識的に体験している元型を意識化させ、それを克服し、さらには元型を自身の中に取り込んで、新しい自分のあり方を見出していくことが大切だと言われています。その作業によって、自我は確立され、さらには心の全体性である自己(セルフ)へと近づく「個性化」と呼ばれる過程へ進むことができるようになります。その「個性化」は、ヌーソロジーでいうところの「霊的個体化」と同じ意味だと考えます。
「個性化」と呼ばれる理由は、元型それ自体がとても個性的なので、それを取り込むことで人格が個性化されるからです。逆に、元型を無意識的に体験するだけで、元型を克服せず、さらにそれを取り込めていないその人は、古代人のように元型という神に操られる個性なき存在です。
心に境界線が引けない人たち
以前の回で、自我意識は類型的で、じつは個性がなく、元型の取り込みによって人格は個性化されるとお話しました。元型の克服、そしてその取り込みの作業は、元型と真摯に向き合い、自分の過去の体験を内省することから始まると考えます。この内省の過程において、人は世界を多面的に見る視点を獲得します。
私はこれが正しいと思うけれど、あの人にとってそれは正しくないんだ!
自分の未熟な意識によって、すべての物事を主観的に見すぎていた!
など、心そして意識の中に「これとそれは違う」といったように、境界線を引くことができるようになります。意識が未熟な人は、この内的な境界線が引けません。自分が見ている世界観、そして自分の感じ方や考え方などを、「他者の世界もそうなのだ」として、他者に自分の世界観を押しつけようとします。
しかしその行為は、元型の型から抜け出せないために起こることでもあると考えます。元型の型から抜け出し、それを取り込むことができると、世界の多面性を知ることができるからです。
意識構造化の重要性
ヌーソロジーは観察子と呼ばれる次元の単位を用いて、宇宙そして意識を構造化させて解説します。そして半田さんは「ヌーソロジーは構造が大事!」と強くおっしゃいます。さらに、「カタチ」と呼ばれる幾何学体を見出す作業も行っていきます。
ここ最近、ユング心理学を学んでようやく繋がってきたのですが、このヌーソロジーでいう「カタチ」は、ユングでいう元型に近いものなのだろうなと思います。なぜなら、ヌーソロジーの「カタチ」を見出す作業は、ユングでいう元型の取り込みによって、多面的視点を得られることと似ているからです。
世界を多面的に捉えると、そこに幾何学体である「カタチ」が現れる。形のない意識に「カタチ」を与えることで、「世界にはいろんな見え方があるんだ」と思えるようになる。そして、それによって主観的で利己的な見方を卒業することができ、意識に「カタチ」がもたらされ、日常生活においては、心にも境界線が引けるようになると考えます。
これはつまり、意識が体系化された、または、意識が構造化された、と言えると思います。
意識が未熟なため、すべて主観的に世界を見てしまう人は、意識の構造化が弱いと言えます。ですから、自我意識の成長には、意識の体系化、そして意識を構造化させることがとても重要だと考えます。半田さんが「ヌーソロジーは構造が大事!」と力強くおっしゃる理由も深く理解できます。
元型に支配される人の末路
元型の暴走
ユング心理学では、元型の取り込みによって意識が自らを守り、無意識的に働く元型の作用を遮ることができると言います。元型の克服やその取り込みができない状態でいると、元型の規範が崩壊し、さまざまな元型が人間を捕まえて、悪鬼のように食い尽くすそうです。その例が、殺人、強盗、暴君、泥棒、偽善者、詐欺師なのだそうです。
うん、やっぱりヒロユキさんがおっしゃる「無敵の人」に近いですよね。
第7回の放送で、1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件に関して、哲学者池田晶子さんの考察をご紹介しました。そこで池田さんは「少年Aは何かしらの型をそのまま生きている」とおっしゃっていましたが、たぶん、ここで言われている型というのは、暴走した元型のことだと思われます。池田さんもユング心理学を学ばれていたようなので、そのような考察になったのだと思います。
霊的洪水
さらに人類全体の進化の方向性として、今後元型に上手く対処できないと、暗黒の無意識の大波が人々の心、そして自我をも呑み込んでしまい、その結果、呑み込まれた人たちは太古の意識状態に逆戻りするとも言われています。
この暗黒の無意識の大波は、世界各地に伝わる、あの洪水伝説のことを指すと私は考えています。かつて世界を襲った大洪水は、実際には物質的な現象として起こったのではなく、私たち祖先の意識の中で起こったことだと考えます。シュタイナーの言葉を借りると、「霊的洪水」と呼ばれるものに該当すると思います。
この霊的洪水から自らを守るのが意識の構造化であり、その構造化された意識が無意識の侵入を防ぐ、防水壁のような役割を果たすのだと思います。
1997年公開の映画『タイタニック』をご覧になった方ならご存知だと思いますが、船には船底にいくつもの水密区画というものが設けられています。水密区画とは、船内の一部が浸水しても船が浮力を失わないための、縦、横の仕切り壁や板、甲板(かんぱん)などで仕切られた区画のことをいいます。
心の世界をタイタニックの世界観と照らし合わせてみると、海は暗黒の無意識、そして船は自我であり、船底の水密区画は構造化された意識として見ることができます。この水密区画の数が少ない、または仕切り壁の強度が弱い場合、一気に暗黒の無意識が船内に侵入し、船である自我をふたたび母なる暗黒の海へ沈めてしまう危険性があると考えます。
暗黒の無意識は、普段から、知らずしらずのうちに、私たちの意識内に侵入してきていると思います。無意識の侵入は急に起こることではなく、つねにそれは起こっているため、私たちはいつもその危険にさらされていると思います。だからこそ、意識を構造化させて、その無意識の侵入から自我を守らなければいけないと考えます。
ヌーソロジーが行っている「カタチ」という意識の幾何学体の掘り出し作業は、この話の流れでいうと、その「カタチ」としての幾何学体は、暗黒の無意識に沈まない丈夫な船を象徴しているのかもしれません。その丈夫な船をヌーソロジーは作ろうとしているのかなと思いました。
憑依型チャネリングの問題点
スピリチュアルの世界では、ときどき、高次存在を自分自身に憑依させてチャネリングしている人がいらっしゃいますが、私はそれを見ると「危険だなあ」と、正直思ってしまいます。なぜなら、そのような憑依型のチャネリングは、よくわからない存在に自分自身の意識体系を明け渡しているからです。幽霊に憑依されやすい人も、同じ現象が起こっていると私は考えます。
すぐ明け渡してしまえるほどの意識構造の弱さは、今現在は支障がないかもしれませんが、のちのち無意識の大波が襲ってきたとき、どうなるかわかりません。
さらに、半田さんのように、チャネリング情報に対して疑いを持ったり、科学的態度をもって学問とチャネリング情報をすり合わせしないというのは、そのチャネラーさん自身も自分なりの考えを持っていない、つまり、自我の確立がされていない可能性があると考えます。
意識の構造化、そして自我の確立には、自らが「考える」ことが必須だからです。
まあ、意識構造を明け渡さず、自らが高次存在へとアクセスするなら良いのかもしれませんけど…。
まとめ
だいぶ大きな話をしてしまいましたが、自我意識の成長という話に戻ると、元型の無意識的体験に気づき、それを意識化すること、そして内省を通して物事の多面的視点を獲得することで、しっかりと意識を構造化させることが必要だと考えます。
ここ最近はSNSの発達によって、利己的で主観的な意識で世界を見ている人が増えているように感じます。主観はもちろん大切ですが、相手の世界まで主観で捉える意識は幼児的であり、元型という型から自身が抜け出せていないことを証明しています。元型の作用のままに生きています。
「意識の構造化は物事に境界線を引けるようになること」と言っても、それはかなり難しい作業になります。なぜなら、境界線を引こうにも感情がそれを許さないからです。ですから、私はまずは感情と向き合うことをおすすめします。そして、そこから時間をかけて、心に境界線を引けるようにしていけばいいと思います。感情も何かしらのメッセージを自分に発しているので、まずはそれを聞いてあげる、というところから始めてみてください。
自我の確立、そして意識の構造化によって、暗黒の無意識に沈まない頑丈な船を作りましょう。そして、その船でまだ見ぬ新境地へ、風を切って、グングン前に進んでいきましょう!
このお話が、みなさんの気づきの一つになったら嬉しいです。
それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!