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【ろじろじラジオ】第42回放送★集合的無意識への同一化体験や元型との出会いについて

集合的無意識アイキャッチYoutube
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第42回放送時のトーク内容全文をご紹介します。

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本日のトーク内容

以下の内容は、原文を加筆修正しています。

さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

ここ最近は、ユング心理学を知るうえで重要な概念となる「元型」についてお話をしています。元型は、私たちの集合的無意識内で働く心的機能です。私たちは無自覚のうちに、この元型の作用のままに生かされています。ですから、私たちは個人の意志ではなく、まだまだ集合的無意識によって、受動的に動かされていることの方が多いと考えます。

私は今年ユング心理学と出会い、それをキッカケにして、集合的無意識についていろいろ学びはじめたのですが、じつは、昨年の2021年から個人的に体感してきたことがあります。その体験が、ユング心理学を学ぶキッカケになったと、今なら思います。

今日は、私が昨年から体感していることを言語化してみようと思います。

集合的無意識への同一化について

師走での体験

snowman

私が体感していることというのは、結論から言うと、それは「集合的無意識への同一化」です。

具体的にお話をすると、たとえば、カレンダーで12月は「師走」と名がついていますよね。師走の意味は「誰もが年の瀬をひかえて何かと気忙しく、慌ただしくなる時期のため、どっしり構えて読経をするお坊さんも走り回らなければならない程の多忙な月」だそうです。師走という名のとおり、たしかに、年の瀬が迫る12月は、なぜか日本人は忙しいですよね。さらに、大晦日付近はもっと忙しいです。

私は、これまでは「そういう時期は忙しくなるのが当たり前、そういうものだ」としか思っていませんでした。しかし、昨年の12月に自分の意識が忙しくなっている状態に、「ん?」と違和感を持ったのです。私自身はまったく忙しくする必要がないのに、なぜ意識が急いでいるのだろうと。

そのときは軽い違和感で終わったのですが、大晦日を迎えた日、とあることが起こりました。

大晦日での体験

大晦日

私は、スーパーに年越しそばを買いに出かけました。大晦日なので、スーパーは大混雑。でも、私は「時期的なものだろう、他の買い物客は気持ちが焦っているけど、私は焦る必要はないから、ゆっくり買い物をしよう」と、自分に言い聞かせながら買い物をしていました。しかし、ふとした瞬間に我を忘れて、めちゃくちゃ焦って買い物をしている自分がいたのです。

会計が終わって、「ああ、無事買い物終了〜」と一息ついた瞬間、「ん?いや、待てよ?私の行動、何かがおかしかった。なぜ私は焦って買い物をしたのだろう?どんなに周りが焦っていても、私は焦る必要がなかった。でもそのことを一気に忘れてしまった」と思ったんです。

この経験がキッカケとなって、私は自分に起こる、自分らしくない行動について、内観をするようになりました。ニュースやYoutubeを見たときに変化する自分の心情なども対象にしました。

内観作業で気づいたこと

その結果、少しずつわかってきたことがあります。それは、言葉や季節、出来事の裏には、私たちが気づいていない意識領域やアイデンティティが存在しているということ。

たとえば、12月は「師走」という言葉や季節の裏に、年の瀬に忙しい体験をした、日本人の祖先の経験が、意識の場を作って存在しているのではないか、ということ。その意識の場には、12月という季節のイメージだけでなく、その時期に祖先たちが感じた感情や思考も含まれるので、そこにはアイデンティティなるものが生まれることになるわけです。

そして、実際季節が師走に入ると、私たちは無自覚にその師走という言葉がもつ意識領域、そしてそこのアイデンティティに自分の意識が同一化するんです。だから、なぜか忙しい意識になってしまうということ。

大晦日も同じです。大晦日という意識領域、そしてアイデンティティがあって、そこに自分の意識が同一化することで、大晦日モードになるのです。だから、私は自分なりにこういった答えが出たとき、「私はあのとき、初めて、大晦日に出会ったんだ!」と思いました(笑)大晦日とのご対面、それは大晦日を対象化したということ。

natan
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「何言ってんだ、この人」って思いますよね(笑)

集合的無意識への同一化は当たり前

たんぽぽ

そこから、さらに自分の内的な体験をベースに考察を深めたところ、もっと見えてきたことがありました。それは、もともと私たち人間は、集合的無意識内に存在する何かしらの意識領域や自分以外のアイデンティティに、つねに同一化しながら世界を体験しているということ。

イメージとしては、私たち人間の意識は根無し草のような、たんぽぽの綿毛のような存在で、つねに空中をフワフワ飛んでいるような感じなのです。

その世界に、とあるインパクトのある言葉が登場したり、とある出来事が起こったりすると、その言葉や出来事が意識領域を作りだすのです。気象学でいえば、熱帯低気圧発生みたいなイメージです。そして、その出来事に人々の注目がどんどん集まると、意識領域はさらにその中心気圧を下げることで、熱帯低気圧が台風へと変わるのです。

意識領域が台風に変わると、フワフワ空中を漂っている私たちの意識は、一気にその意識台風の中に吸い込まれていきます。そして、グルグル猛烈な勢いで回って、意識領域との同一化が起こります。

竜巻

意識領域は一つのアイデンティティを持っているので、意識の同一化が起こってしまえば、その意識は自分のものとなる。だから、「今、私が感じている感情は私の感情だ」と思うようになります。

でも、しっかり自分を内観してみるとわかるのですが、それは、自分の意識でも感情でも何でもないのです。自分のものではない意識領域が生みだしているもの、そこのアイデンティティが持っているものなのです。それを「自分のものだ!」と思い込んでいるだけなのです。

集合的無意識への同一化に気づいたきっかけ

アイデア

私がなぜ、ここに気づけたかというと、私も一瞬はそういった意識領域に同一化しそうになるのですが、同一化する寸前に、「なんかこの意識や感情が私らしくない!」という感覚や思いが湧いてくるのです。何かしらの意識領域に同一化しそうになっているときは、私の中では、ものすごい感情が高ぶっているのですが、その感情が「私らしくない!」と感じるんですね。

そういうときは、まずは大きな深呼吸を何回か繰り返して気持ちを落ち着けます。すると、「あ、また何かしらの意識領域に同一化しそうになっていた」ということに気づけます。

このように、自分のものではない意識領域、そしてアイデンティティの存在に気づけるのは、私の自我意識が幼いながらも一生懸命、意識の大地に根を張っているからだと感じました。根無し草ではなく、ちゃんと根を張っている。だから、いつでも自分の意識の位置に戻ってこられるのだと思います。

以前、「日本人の自我確立は、集合的無意識から完全に自分を切り離してしまうのではなく、集合的無意識の動きを感じ取りながら、踏ん張ってそれに耐えて、冷静に物事を判断することだ」とお話したのは、私自身のこのような体験、そして考察があったからです。

日本人は西洋人のように、自我を集合的無意識から切り離すことは、たぶん、できないです。だから、できないなりに、その日本という集合的無意識の中での自我確立法を模索していかなければいけないと思いました。

この体験が、ユング心理学の元型を学ぶキッカケになりました。私が体感している意識領域が元型っぽいのです。そして、それはアイデンティティを持っているので、古代人が神として崇めていたものにソックリなのです。

ここ最近は、この集合的無意識が大きく動く出来事が増えているように思います。そして、たくさんの人が、そこでうごめいている意識領域やアイデンティティに同一化しているように感じます。つまり、元型との同一化が増えてきている、という感じです。

元型はさまざまな種類があり、それは集合的無意識内に存在しています。そして、集合的無意識というのは個人的無意識とはまったく別物なので、たとえ、個人的無意識に関して知識を持っていたり、自分自身の個人的無意識に対応できていたとしても、集合的無意識内ではどんな人でも同一化してしまうものです。

natan
natan

別物なんですね、集合的無意識というのは。

私も、思いっきり集合的無意識に同一化することはあるので、そのつど内観して、物事を丁寧に見ていく中で自分らしさを取り戻す、ということを地道に行っています。

元型への同一化で得られるもの、失うもの

ガッツポーズ

元型に同一化すると、ネガティブな思考や感情だけでなく、ときには、ものすごい自己肯定感や高揚感も得られるときがあるんですよね。

たとえば、「愛国心」という言葉がありますが、この言葉が持つ意識領域は、たぶん、何千年もの歴史を持つものなので、その中心気圧はかなり強烈なものだと感じます。スーパー台風並みです。

この「愛国心」という意識領域を上手く自分の中に取り込んで(つまり元型の取り込みのような感じですが)、自分なりの愛国心を見出していくということであれば、それは個性化へ向かう過程なので、素晴らしいことだと思います。

でも、大抵の場合は、その愛国心という意識領域に自分自身が同一化してしまうパターンがほとんどだと思います。だから、自己肯定感の高まりや激しい高揚感が得られる反面、自分の冷静な判断が失われるので、激しい対立に平気で加担したり、自分の命までも国に捧げてしまう、ということも起こってしまいます。日本は、これをかつての世界大戦でやってきているんですよね。そして、今でもそれは見えない形で起こっていると思います。

もちろん、集合的無意識に同一化することは、かならずしも「悪い」ということではありません。災害時などにおける人々の協力体制そして連携は、集合的無意識なくしては達成できないと思うからです。集合的無意識への同一化の良し悪しは、時と場合で変わると思います。

まとめ

これまで英雄神話などをとおして、自我確立の大変さやその難しさ、さらには集合的無意識内で働く元型の威力の強さについてお話してきましたが、結局、それらを克服するためには、「その考えや感情は自分らしいかどうか」という自分への問い、そして自分の中に湧く違和感にどれだけ気づけるか、ということが重要だと私は思います。

だからつねに、「なぜ私はそう思うの?なぜそう感じるの?なぜ?」という哲学的思考が必要なのですね。

日本人は自我が強くないので、簡単に集合的無意識に同一化してしまう性質があります。その同一化は、良いときもあれば、悪いときもあります。良いと思って同一化しても、結局は悪いに転じてしまうことも多々あります。

だから、まずは、自分の意識をニュートラルに持っていくこと。そして、冷静に多面的に物事を判断すること。そのためには、つねに自分自身に「なぜ?」と問い続けていってくださいね。これは根気が必要です。一緒に頑張りましょう!

このお話が、みなさんの気づきの一つになったら嬉しいです。

natan
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それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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