ようこそ、コスモ・ライフォロジーへ♪

【ろじろじラジオ】第40回放送★スサノオによるヤマタノオロチ退治は「退治」ではない?元型から読み解くもう一つのストーリー

スサノオとヤマタノオロチアイキャッチYoutube
natan
natan

私の宇宙からこんにちは、natanです。

このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第40回放送時のトーク内容全文をご紹介します。

スポンサーリンク

本日のトーク内容

以下の内容は、原文を加筆修正しています。

ウロボロスについてのおさらい

Ouroboros

さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

前々回は英雄神話において、英雄が竜退治を成功させた暁にゲットできる、宝物やお姫様についてのお話をしました。

今回は、日本神話の英雄スサノオをテーマにして、私が考える竜退治によって得られる宝物のもう一つの側面をお話したいと思います。

まず復習ですが、竜として描かれているウロボロスのシンボルは、ユング心理学では心の働きのパターンである元型をひとまとめにして持っている「原元型」だとお話しました(元型は多種多様ある)。ウロボロス内にあるさまざまな元型は、すべて未分化な状態で存在しています。元型の親玉みたいなイメージです。

スサノオとヤマタノオロチ

スサノオの行為に対する疑問

スサノオ

スサノオとヤマタノオロチの闘いのシーンを見てみると、スサノオはヤマタノオロチをお酒で酔わせ、その間にヤマタノオロチを散り散りに切り刻んでいます。そのときにゲットする宝物が草薙の剣ですが、今日はそこに着目するのではなく、この「散り散りに切り刻む」行為について考察してみたいと思います。

ヤマタノオロチを退治するなら、八つの頭を切り落せばいいだけなのに、スサノオはそうしませんでした。ヤマタノオロチの全身を切り刻んでいます。なぜこのような行為をスサノオは行ったのか?

その理由に関して、ユング派心理学者であり、ユング研究所会長でもある林道義先生の書籍『日本神話の英雄たち』を参考にして、お話してみたいと思います。

スサノオは穀物神でもある

稲

林先生は「スサノオは英雄だけでなく、豊饒の神である竜に仕える穀物神という性質も持っている」とおっしゃっていました。

古代、大いなる母であるグレートマザーは、豊饒の神としても讃えられていました。グレートマザーの時代は、日本でいえば縄文時代に該当すると思われますが、縄文人は多数の土偶を制作しています。その土偶はグレートマザーを模したものであり、それは粉々に砕かれて、大地にばらまかれています。

これは母性原理の時代、世界各地で見られた、グレートマザーの力にあやかって豊饒を願う儀式の一つだったとする考えが有力だそうです。豊饒性には死と再生が絡んでくるので、死者も次の豊饒の糧になるという考えのもと、その時代は死者さえも細かく切り刻んで大地に葬っていたようです。

natan
natan

想像しただけでゾッとしますが…。

ちなみに古代エジプトの時代において、王は永遠に死なないとする考えが生まれたために、死者を細かく切り刻むのではなく、死体をミイラに変えて、再び王として復活するために備えるようになったそうです。

ヤマタノオロチのもう一つの姿

ヤマタノオロチ

林先生いわく、『古事記』と同じころにできた『旧事本紀(くじほんぎ)』という書物には、スサノオがヤマタノオロチを「賢き神」と呼んで、「あえてみあえせざらんや」、しっかり向き合ってもてなさなければいけないと言って、一生懸命もてなしたと書かれているそうです。

古事記などではヤマタノオロチは敵であり、それを倒すためにお酒で酔わせて退治するというストーリーになっていますが、古形のストーリーでは、ヤマタノオロチを騙して眠らせたのではなく、お酒を醸造してごちそうしたという内容なのだそうです。

なぜヤマタノオロチをスサノオが心からもてなしたかというと、当時の日本人にとって、蛇は神様として神聖な存在だったからです。蛇は竜でもあります。そして、蛇や竜は豊饒の神でもあるため、上述したように、ヤマタノオロチをもてなした後、ヤマタノオロチを切り刻むことで大地が肥沃となり、世界が実り豊かになった。だからスサノオは英雄であると同時に穀物神でもある、というのが林先生の見解です。

クシナダヒメのもう一つの姿

さらに上記を裏付ける話もあります。スサノオが助けるクシナダヒメは、本来はスサノオを支える巫女的な存在だったということ。クシナダヒメはヤマタノオロチに差し出して食べられる八番目のお姫様ですが、じつは蛇である神様をもてなす役目は八人の処女、つまり八処女(やおとめ)の役割だったそうです。

クシナダヒメはその役目を持つため、ヤマタノオロチは穀物神としてのスサノオと、巫女としてのクシナダヒメに誠心誠意もてなしてもらい、讃えられ、その後細かく裁断された。この男女のペアは、まさに、英雄伝説の英雄とお姫様の関係そのものです。

私なりの神話解釈

元型のおさらい

ここまでヤマタノオロチの豊饒の神という側面と、英雄スサノオの穀物神という側面についてお話してきましたが、意識成長においてこれは何を意味するのかということについて、私なりの神話解釈をお話したいと思います。

前回のラジオで、元型について詳しくお話をしました。

元型はソフトウェアやアプリのように、集合的無意識の中で自動的に発動する心的パターンであり、私たちはそれによって受動的に生かされています。その元型を克服することで、元型を新たな形で自分の中に取り込むことができ、個性化へと向かうことができる、というお話でした。さらに私個人の考えとして、元型は心的な働きだけでなく、出来事も元型として動いていると考えています。

私たちは身体的そして心理的に発達する諸段階において、その時期にあった元型の発動とともに、その元型を受動的に体験させられます。なぜ全国の小学生の子どもたちは、住む地域が違うのに、みな同じような遊びをしているのか。なぜ中学生になると「中二病」なるものが発生するのかというと、それもその時期に、そういった元型が発動するからだと考えます。

こういった発達の際に、自動的に発動する心理的な元型の他に、人生で起こるさまざまな出来事も元型として表れているかもしれない、というのが私の考察です。

元型を体験すると…

前回、元型との出会いは魂を揺さぶられる体験だともお話しましたが、日常における元型的な出来事との出会いは、とても感情を揺さぶられるものだと思います。ですから、感情が揺さぶられたときは、元型的な出来事と今まさに出会っているのだと知ることができると考えます。

初めて体験する出来事は、そこで起こっていることを冷静に分析し、俯瞰視することはできません。ただただ受動的に思考や感情が出てきて、反応のままに行動してしまうものです。その状態はまさに、何かしらの元型的出来事を体験している瞬間だと言えると思います。そこでは嬉しい体験もあれば、ときには争ったり、傷ついたりということもあると思います。

嫌な元型的出来事との出会いは、大抵の場合、人は過去をあまり振り返らず、「嫌な記憶」として無意識の中に葬ってしまうかと思います。しかし、そういった体験を後々「あの出来事は一体何だったのだろう」と振り返って反省してみると、それまで気づかなかったいろんなことが見えてきます。どういった経緯であの出来事が起こったのか、そのときの相手の気持ちや行動、そのときの自分の弱さなど。

元型的出来事と向き合うということ

鏡

受動的に元型的出来事を体験しているときは、そのような細部のことはわからないので、それは言い換えると、あらゆるものを未分化の状態で体験をしている、と言えると思います。

ですから、受動的に元型的出来事を体験しているときをシンボルで表現すると、それはウロボロスの竜で表されると考えます。そのウロボロスの竜としての元型的体験を「嫌な記憶」として無意識へ追いやってしまうと、後々その竜はまた無意識内で暴れだして、人は同じような嫌な体験を何度も繰り返し体験するようになると考えます。

しかし、スサノオとヤマタノオロチの話にもあったように、スサノオはヤマタノオロチを酒に酔わせて退治したのではなく、誠心誠意もてなしたと言います。これはヤマタノオロチと心から向き合ったという、スサノオの真摯な態度を表していると思います。私たちもウロボロスの竜としての元型的出来事と出会ったときは、まずはその出来事から逃げるのではなく、しっかり「体験」することが必要ではないかと考えます。

そして、たとえその体験が嫌なものだったとしても、無意識の闇へそれを葬り去るのではなく、その出来事をしっかりと振り返り、反省すること。その出来事を振り返って、その出来事が自分の人生において何を意味しているのか、何を学ぶべきなのかを考えていくと、自分の能動的な意識が光の剣となって、ウロボロスの竜を解体する方向へ働くと考えます。

細かく細かく自分の体験を分析し考察していく作業は、心理的な竜退治と言えるのではないでしょうか。その竜退治は、決して相手をだまして遂行するものではありません。逆に、竜自体も解体されることを望んでいるかもしれません。だからこそ、感謝の気持ちを持ちつつ、謙虚な姿勢で解体していく。

このスサノオの真摯な態度というのは、内省するという行為を指すと考えます。内省をする際は、クシナダヒメとしての自分の女性性である感性の力も必要になります。

その行為によって細かく裁断された竜が、今度は自分の心的な成長の新しい糧となって、自身の心の中に蒔かれる。そして、時とともに種が芽吹き、豊かな心的世界や新たな心的機能が生まれる。もしかしたら、穀物神であるスサノオとは、自分自身のことなのかもしれません。

竜を解体するときに出現してくるものは、新しい布置を得た元型です。この新しい元型によって、新しい心的機能がゲットできるというわけです。だからウロボロスの竜は、さまざまな元型を所有した元型の親玉だと表現したのは、こういった理由からです。

そして心的成長を果たしたときに、「あのときの経験はとても辛かったけど、今思うと、あの経験は自分にとって宝物だ」と思えると思います。

最後に

以上のように、ヤマタノオロチという存在は怖い化け物としてイメージされがちですが、それは自分の中にも眠っている存在であり、怖いイメージは、自分自身の内側に眠るヤマタノオロチと真摯に向き合わないからそう感じるのだと私は思います。

竜は豊饒の神です。その神から豊饒の力や宝物を得るためには、自分自身の勇気、そして真摯な態度と謙虚な姿勢が必要です。竜は神にも化け物にもなります。どちらになるかは、スサノオである自分自身の態度次第だと考えます。みなさんの心の中にいる竜と、今一度向き合ってみることをおすすめします。

このお話が、みなさんの気づきの一つになったら嬉しいです。

natan
natan

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

コメント

タイトルとURLをコピーしました