
私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、なぜ愛着障害を抱えているにも関わらず、人は偉人にまで登りつめることができるのかについてお話したいと思います。
▼ 参考文献 ▼
独創的な創造性との関係
愛着障害についてのケースをたどっていくと、すぐに気づかされるのは、作家や文学者に愛着障害を抱えた人が異様なほどに多いという事実です。
夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、三島由紀夫etc…。

これら日本文学を代表する人たちが、いちように愛着の問題を抱えていたというのは驚くべきことです。
ある意味、日本の近代文学は、見捨てられた子どもたちの悲しみを原動力にして生みだされたとも言えるほどなのです。
文学以外にも、芸術の分野で名を残した人には、愛着障害を抱えていたというケースが非常に多くみられます。
ある意味、そこからくる「欠落」を心の中に抱えていなければ、直接的に生産に寄与するわけでもない創作という行為に取りつかれ、人生の多くを費やしたわけではないと思います。
書いても書いても癒やし尽くされない心の空洞があってこそ、作品を生みだし続けることができるのです。
芸術の分野以外でも、政治や宗教、ビジネスや社会活動の領域で、偉大な働きや貢献をする人はしばしば愛着障害を抱え、それを乗り越えてきたというケースは少なくありません。
愛着障害の人には、
とがあります。
じつはその二つは、表裏一体といえるダイナミズムを持っています。
自己へのこだわりを克服しようとして、自己超越を求めることは多いですが、同時に、自己に徹底的にこだわった末に、自己超越の境地に至るということも多いのです。
偉人たちは「安全基地」を持たない
彼らの行動や思考が、独創性や革新性をもたらすということは、彼らが「親という安全基地をもたない」ということと深く関係しているように思えます。

親という安全基地に恵まれ、安定した愛着を築いて、それに保護されながら生きていくことは、たしかに安全であるし、社会にうまく適応するチャンスが増えます。
その方が、ずっと生きやすい人生を保証してくれるのです。
それに比べて、親という安全基地を持たず育った人は、いきなり社会の荒波に放りだされて生きてきたようなものであり、その困難は大きいのです。
しかし、親という安全基地は、しばしばその人を縛りつけてしまいます。
そこが安全であるがゆえに、あるいは親に愛着するがゆえに、親の期待や庇護という「限界」にとらわれてしまうことも多いのです。
そして、親が設定した「常識」や「価値観」にがんじがらめにされ、常識的な限界を超えにくいのです。
ところが、愛着が不完全で、安全基地を持たない場合には、そこに縛られることがありません。
まったく常識を超えた目で社会を見たり、物事を感じたり、発想することができるのです。
これが、独創性という点で大きな強みを生むのです。
もちろん、なかには親の期待に過剰に服従するというケースもあります。
しかし、人間の心というのはそう単純にはいかないもので、表面的には服従していても、心の中にはどんどん割り切れない剰余が積み重なっていきます。
まさにその部分が、皮肉な視点で物事を見るということに繋がるのです。
つまり二面性を生むのです。
この二面性が人間の本然的に抱える矛盾を際立たせ、自己や社会に対する否定的な気分となって、ネガティブに作用することもあれば、個性的な着眼に繋がるというプラスの作用を及ぼすこともあるのです。
創造とは、ある意味、旧来の価値の破壊です。
破壊的な力が生まれるためには、旧来の存在と安定的に親しく結びつくことはマイナスになるのです。
親を代表とする旧勢力に対する根源的な憎しみがあった方が、そこから破壊的なまでの創造のエネルギーが生みだされるのです。
その意味で、創造する者にとって、愛着障害はほとんど不可欠な原動力であり、愛着障害を持たない者が偉大な創造を行った例はむしろ稀と言っても差し支えないでしょう。
技術や伝統を継承し、発展させることはできても、そこから真の創造は生まれにくいのです。
なぜなら、破壊的な創造と、安定した愛着に恵まれた人にとって、命をかけるまでには必要性をもたないからです。
偉人たちの人生
夏目漱石
なぜ夏目漱石は、内定していた東大教授という安定した地位をなげうって、当時は弱小新聞だった東京朝日新聞の記者となって、不安定な新聞小説家という道を選んだのか。

漱石は予期せざる子として生まれ、出生後すぐ里子に出される。カゴに入れられ、ガラクタと一緒に置かれ、たまたま通りかかった姉が見かけ、不憫に思い連れ帰る。その後、別の家の養子となり、養母から執拗な押し付けがましい愛情を受けた。良い子を演じていた漱石だったが、その反動で問題行動を起こすようになった。
谷崎潤一郎
なぜ谷崎潤一郎は東大を中退し、海のものとも山のものとも定かではない作家活動に飛び込んでいったのか。

谷崎の母はお嬢様育ち、神経質で潔癖症のため、子どもにあまり関心がなかった。家が裕福だったにもかかわらず、きょうだいたちは里子や養子に出された。長男だった潤一郎はきょうだいの中では一番可愛がられたと思われるが、彼の世話をしたのは乳母だった。小学校の始業式に乳母の姿が見えなくなると、パニックになって泣きながら学校から駆け出してしまったエピソードがある。
その後の彼は、女性関係において異常に執拗の強い面と、非常にドライで多情な面を持つようになる。
スティーブ・ジョブズ
なぜスティーブ・ジョブズは大学を中退して、ドラッグやインド放浪という当てどころのない遍歴をくり返したのか。

ジョブズは生後数週間で生みの親から離されて養子となった。彼は幼いころから多動で衝動的な傾向を示し、殺虫剤の「味見」をしたり、コンセントにヘアピンを差し込んだりして、何度も病院に担ぎ込まれている。
今ならADHDの診断を受けただろう。
バラク・オバマ
なぜバラク・オバマはコロンビア大学を卒業した後、一流企業に就職する道を選ばず、報われることの少ないソーシャル・オーガナイザーとして活動することにしたのか。

シングルマザーで大学院にも通っていたオバマの母は忙しく、彼にはあまりかまっていられなかった。彼の面倒をみたのは、ハワイでは祖父母だった。母親が再婚して、インドネシアにいたとき、彼は見知らぬ人たちのなかで完全なエイリアンであり、疎外感を味わわずにはいられなかった。しかし、彼は母親にほとんど抵抗することもなく、ひどく従順だった。
オバマは誰にでも合わせられる「よい子」だったが、ドラッグやアルコールに依存した時期がある。
まとめ
彼らの創造的な人生の原点にあるのは、既成の価値を否定し、そこから自由になろうとしたことにあります。
彼らにそれができたのは、彼らが内部に不安定な空虚を抱え、常識的な行動によっては満たされないものがあったからです。
そして、その源をさかのぼれば、愛着の傷ということに行きつくのです。
それが、彼らを社会的な常識から解放し、新しい価値を手に入れる旅へと駆りたてたのです。
次回もお楽しみに♪
▼ 参考文献 ▼