本日のトーク内容
はじめに
皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。今日は、古事記研究をする中でようやく見えてきた古事記編纂の真の目的について、私の仮説をお話したいと思います。
古事記読み方講座第6回から18回にかけて、日本の古代信仰についてお話しました。古神道や神道の特徴、陰陽五行や干支、易経の基礎知識、そして旧暦についても解説しました。まだその内容を視聴されていない方は、ぜひ視聴してから今日のお話を聞いていただきたいです。

というのも、古事記を読み解くには日本の古代信仰を知る必要があるからそのような話をしたのですが、じつはもう一つ個人的な理由があってお話させていただきました。その理由というのは、これから古事記解説をしていくにあたり、ある仮説をもとにそれを検証しながら話を進めていきたいと思ったからです。
その仮説というのは、「古事記は何を記した書物なのか」という問いに対するものです。古事記が記す内容は識者のいろんな見解があって、たとえば天皇の正当性とか、日本の伝承を記録したものとか、日本人の精神性とか、いろんな意見がありますが、私も一つの仮説を見出しました。
私の仮説は、暦の成り立ちと日本人の精神構造の成り立ちです。ここで言う暦とは旧暦のことで、明治以前まで使われていた太陰太陽暦を指します。この仮説は二つあるように見えますが、実は本質は同じものです。この仮説を検証したくて、講座の方で長々と陰陽五行の話をさせていただきました。

なぜ暦なのか、なぜそれが日本人の精神構造と関係してくるのかというと、古事記が編纂された時代に要因があると思うからです。
【古事記の内容】①暦の成り立ち説
まず暦から見ていくと、古事記が編纂されたのは西暦712年。それまで大陸では戦が勃発していて、日本も663年の白村江の戦いで大敗しています。もう一度国を建て直さなければいけないときに権力者がまずやること。それは暦の改革です。
歴史学者で暦学者の岡田芳朗先生は、『日本の暦 旧暦と新暦がわかる本』の中でこう話しています。
改暦は、平常時には不要不急の変更であると棚上げされがちであり、大きな変革の時代にのみ、その実現が可能。革命の旗手たちは、改革の旗標として万人に直接目にふれる暦法とか年号とかいうものに、まず手を染める。中国の諸王朝が天下を取るとまず暦法を改めたり、年号を変えたりしたのは、それによって権力の所在を民衆に明示するためだった。シーザーやフランス革命のリーダーたち、あるいはレーニンはまず暦を改革した。
日本も明治に入ると、太陰太陽暦を太陽暦に改暦しました。であるならば、古事記が編纂された時代も暦の改革はあったはずです。
古事記が編纂される以前の日本は、一つの国家とは言い難い状態だったと私は考えています。まだまだいろんな民族がひしめき合いながら暮らしている中で、国の立て直しが必要になった。その立て直しには民族を超えて全員が一致団結する必要があり、それには新しい国を作ることと同レベルのエネルギーが必要だったと考えます。また、国のリーダーとして大和の権力を確固たるものにする必要もあったでしょう。だから暦の改革が行われ、暦がどうやってできたか、その経緯を記したものが古事記だと私は考えました。
講座第1回でお話したように、そもそも古事記の神様は人間ではなく、森羅万象を象徴した存在なので、神話は宇宙や大自然の動きを神々の活動として隠喩で表現したものです。一方暦は、時や季節の移り変わりを単位に分けて体系づけたもの。であるならば、神々の活動を体系化したものが暦だと言い換えることができます。
これまでの古事記解説でも、高天原の一連の出来事を通して太陽と月が交互に巡ることで一日という単位が生まれたり、それと同時にお祭りという文化も誕生しました。また、スサノヲのヤマタヲロチ退治では、春から夏が生じるといった季節が誕生していることなどもお話してきました。
ということは、時や季節、お祭りや年中行事といった日本の文化を生んだのは神々であり、暦の誕生は神々の活動に起因すると言えます。だから古事記を暦の成り立ちとして読むことができる。実際、要所要所でネズミやウサギ、ウマといった十二支に属する動物も出てきますしね。
日本人は昔も今も変わらず、何でも記録に残す人たちだと私は思っていて。藤原道長の日記とか、千年前の小説『源氏物語』とか、正倉院には宝物だってたくさん残っています。
暦においてもそうだったはずで、暦は国を動かすための必須のシステム。だから、その暦がどうやってできたのか、それにはどういう神様が関わっているのか、神から享受した暦を人間はどう扱えばよいかなど、暦の発生やその設計書、さらには取扱説明から注意事項までを一つにまとめたものが古事記だというのが一つ目の仮説です。

【古事記の内容】②日本人の精神構造の成り立ち説
続いて二つ目の「古事記は日本人の精神構造の成り立ちを記したもの」という仮説を見ていくと、これは暦の制定と密接に関わっています。
さっきもお話したように、古事記編纂以前の日本は統一国家とは言い難い状態で、まだまだ多民族国家的な要素が残っていたと考えます。「国づくりは人づくり」と言いますが、強固な国を作るためにはバラバラのアイデンティティでは駄目で、統合したものを持つ必要があります。それを可能にするのが改暦です。
701年の大宝律令に「日本」という国号が記されているように、多民族国家を卒業し、統一国家になったことを内外に知らしめた、そのときから日本という国はスタートしたと私は考えます。そして、日本人というアイデンティティも民族を統一するためにその時代に作ることを決めた。つまり日本人とは、多民族のアイデンティティを一つにまとめた、新時代のハイブリットなアイデンティティだと考えます。だから、古事記も日本書紀もいろんな風土記を集めて構成されているのではないでしょうか?
日本人というアイデンティティは古来から元々あったものではなく、未来に向けて希望をもって作られたものであり、このアイデンティティが暦の制定(古事記編纂)以降長い年月をかけて構築されていったと私は考えます。
次の場面では、暦がどのように日本人のアイデンティティを構築していくのか、その詳細をお話しますね。
神話と暦の関係について
古事記編纂命令への疑問
さて、元明天皇が古事記編纂を命じた理由は、日本の古の記憶が失われてしまうことを危惧したからだと言われています。しかし、これには少々疑問点があって。というのは、古事記に日本の伝承を記したところで、結局のところ文章で残るだけで、人々の記憶には定着しないからです。そもそも原本が消失してしまったら即アウトです。
でも、神話を別の形に変えれば半永久的にそれを忘れずに済む、ということに私は気づきました。それが暦です。暦を生み出したのは神々なので、その神々の活動の物語を暦に落とし込み、その暦を生きれば神話は人々の中で生き続けることができるからです。
暦を生きることは神話を生きること。神話を頭で暗記するのではなく、暦に変えて長い年月をかけて体に刻み込み遺伝子レベルで記憶させるという、再現性の高いやり方で神話を未来に残そうとしたのではないでしょうか?
暦を通して日本人は神と再会する
日本古来の暦である旧暦にはいろんな年中行事やお祭りがあり、それらの行事にはかならず神様の存在があります。日常生活では神様の存在を忘れていても、年中行事を通して私たちは必ず神様と再会し、改めて自分たちの暮らしに神様は欠かせないということを再認識します。
また、現代人はどうしても神様を人間のような存在と捉えてしまいがちですが、本当の神様は自然そのものなんですよね。だから、季節の変わり目に、遠くの空に冷たい氷の香りを感じたとき雪が降ることを察知したり、ピーンと冷たく張り詰めた空気の中に一瞬のほころびを感じたとき春の気配を感じたりといったことがあると思いますが、じつはそう感じているときが本当の意味で神と遭遇している瞬間だと私は思うんです。

そのように五感を通じて季節の変化を感じ取る、その感覚を育てたのは紛れもなく旧暦であり、暦は人と神を繋ぐ架け橋になっていると考えます。各民族の風土記を集めて古事記と旧暦を作り、共通の暦を生きることによってバラバラだったアイデンティティを一つのものへ統合し、日本人と日本という国家を作っていこうとした。そのように、古事記は希望ある未来のために編纂されたと私は考えます。
最後に
というわけで、今日は古事記が編纂された真の目的ついて、私の仮説をお話しました。
私は古事記解読をする中で、ずっと物語が何らかの構造に沿って展開していることに気づいていました。ですが、それが何の構造かわからなくてずっと悶々としていたのですが、ここにきてようやく「あ、暦なんだ」と気づくことができました。ただ、あくまでもこれは仮説であり、古事記を一側面から捉えたときの見方です。暦の上位構造には身体と宇宙が関連する世界があり、本当の古事記は多層的で複雑な構造を持っているからです。
それでも一つの仮説を軸にお話することで煩雑になりがちな古事記解説の方向性を定めることができ、同時にこの仮説が正しいかどうかも検証していきたいと思ったので、今後は暦という観点をもって解説と検証をしていきたいと思います。手始めに、次回の放送で古事記が暦の成り立ちを記しているとするその根拠を、具体例を挙げてお話してみたいと思います。

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!


