私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日も、古代日本の姿から考える未来予測のお話です。
▼ 参考文献 ▼
前回までのお話
過去を知ることで、未来を知ることができる。
というわけで、古代日本の姿についてお話しています。
前回のお話では、
古代日本は双系的社会だった
とお話させていただきました。
今日はその社会が、どのように男性優位社会になっていったのか、その歴史の変遷を追ってみたいと思います。
男女の性的結合に対する信仰
稲と人間の誕生に関する信仰の行事は、かつては一つでした。
日本では、子を生む場所と、稲の種の管理をする小さな一室とが、広い地域にわたって以前から同じでした。
狭く隠れた家刀自(いえのとじ)の寝室に、稲の穂、もみたね、または米を使って神をまつる農村が全国にみられたそうです。
つまり、夫婦の寝室が象徴するものは、
男女の性的結合。
この男女の性的結合がもたらす力に対する信仰が、古代日本にはごく自然とあったようです。
女だけに霊力があるわけではない
書籍『古代女性史への招待』の副題にある『<妹の力>を超えて』という部分。
この「妹(いも)」とは、母、オバ、姪、妻を含む近親女性のことです。
また「兄」は、父、オジ、甥、夫を含む近親男性のことです。
民俗学ではこれまで、女は神に近い存在であり、女だけが神まつりを行ってきたと伝えてきました。
つまり、「女だけに霊力がある」と説いたのです。
「兄」の家を霊的に守護する「妹」の力。
これを民俗学者の柳田國男は「妹の力」と呼び、女性祭祀の伝統を追究しつづけたのです。
しかし、この考えこそが、男性優位社会における「女性の神格化」だと、著者の義江明子さんは「妹の力」論にNOを突きつけます。
日本だけでなく、世界中でも「女性の出産機能」に霊的な力がある、といわれています。
が、しかし!
上記でも触れましたが、夫婦の寝室に稲の穂を置くこと。
そこに米を使って神をまつる風習があったこと。
豊饒の祈りに欠かせないのは、女性の出産機能そのものではなく、
男女の結合それ自体にあるのです。
※超重要※ 男性優位社会ゆえの女性の神格化
日本は8~9世紀以降のなかで、国家的地位の父系継承と密接に結びついて、家父長制原理が芽生えてきます。
9世紀には、大きな神社には皇女が斎王として派遣されるようになります。
斎王(さいおう)または斎皇女(いつきのみこ)は、伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王(親王宣下を受けた天皇の皇女)または女王(親王宣下を受けていない天皇の皇女、あるいは親王の王女)。
厳密には内親王の場合は「斎内親王」、女王の場合は「斎女王」といったが、両者を総称して「斎王」と呼んでいる。
Wikipediaより
このころには貴族、豪族女性の政治的地位や、経済的力は低下しはじめ、巫女の役割も男性神職の下に位置づけられていました。
そこに、天皇支配を支える特殊な巫女として、皇女が派遣され、あたかも女性祭祀者が高い地位にあるかのような様相が作り出されたのです。
天皇から巫女として差し出される皇女は、日常的に聖なる処女であることを強制されました。
女性の現実の地位低下と並行して、一部女性の権威化・神秘化がはじまるのです。
ここ、超重要ポイントです!
キリスト教におけるマグダラのマリアや、西洋の宮廷恋愛が生まれたときの事例にもあるように、男性優位社会において、一部の女性は神格化される傾向にあります。
もし、現代でも「女性には霊力がある」とした女神信仰なるものがあった場合、それは男性優位の管理のもと、神格化が起こっていると捉えるべきです。
社会学者上野千鶴子さんによると、皇女は同族の男と結婚するか、さもなくば非婚にとどまるとのこと。
神妻になるため、人間と結婚するのはあまりにも尊いので、神の妻になるほかない、という口実のもと、その実態は体よく伊勢へと放逐される制度だと述べています。
相変わらず痛快な論評(笑)
▼ 参考文献 ▼
庶民層でも、9世紀頃から女性の社会的地位は低下していき、男女の格差がどんどん広がっていきます。
古代・中世に女性の仕事であった酒造り(麹も)などの醸造は、意外や意外、江戸時代初期まで行われていたそうですが、近世・近代には女性が酒蔵に入るだけで酒が腐ると言われ、女人禁制の仕事場となりました。
女性不浄観により、生理のある女性は不浄とされたのがその理由です。
近世ではさらに、女性を神仏の場から遠ざける女人禁制も各所にみられました。
そうしたなかで、神事に関わる女性の特殊な権威化をはかるために流布されたのが、「生涯、生理をみることなし」という言説で、男性に姿を見せずいこもる神秘的な女性像。
女人禁制と女性神秘化という、一見正反対に見えるものの裏には、家父長制、男性優位の支配構造があるのです。
家父長制における都市部と田舎(山梨県)の違い
ここまでの話は、日本全体の大まかな流れです。
たしかに、日本は双系社会から父系社会へと変わりましたが、じつのところ、やはりその社会のあり方も都市部と田舎ではだいぶ違うようなのです。
我が家にこういう本があります。
『これでいいのか山梨県』(笑)
このなかに、「山梨の女は「気性が荒い」は本当だった!?」というページがあります。
これを読むと、そもそも山梨県は耕地が他の地域に比べて少なく、その分「米以外で金になる」産業が発展してきたそうです。
その代表が養蚕、絹織物。
これが山梨県の女性像を形つくるにあたって、決定的な役割を果たしていたとのこと。
養蚕、絹織物は機織り機で作られ、そういった作業は女性にとっての家庭内労働でした。
男性は畑仕事や、戦争で略奪したりするのが仕事という性別分業があったわけですが、耕地面積も少なく、江戸時代には戦争もほとんどなかった当時の山梨では、男性は役立たずだったそうです(笑)
そこで、一家の稼ぎ頭が政権を握るのは当然のことであり、それは養蚕や機織り作業をするカーちゃんが握るわけです。
そのカーちゃんが作った絹織物を、トーちゃんが行商したそうです。
ちなみに、養蚕の棟梁はバーちゃんだそうです(笑)
蚕をバーちゃんが監視、嫁(娘)は部下の生産管理部長、男性は営業兼資材調達係。
女性が家庭内管理と生産の双方を抑えているのは、全国的にみてもあまり多くないそうですが、でも、だからといって山梨県は「女性優位」ではないと私は思っています。
私は山梨に暮らして数十年になりますが、「山梨の女性は気性が荒い」というのは県全体でいえることではなく、山梨の女性はしっかり男性を立てたり、優しい人が多いと思いますけどね。
というわけで、全体的には男性優位社会となった日本ではありますが、地方によってはその土地特有の暮らし方があるので、かならずしも日本は男性優位社会だったとは言えないのが事実だということも、覚えておいていただけるといいかなと思います。
まとめ
以上のように、「未来は過去に対応する」という時間概念をもって見てみると、古代日本の姿である双系的社会は未来の姿なのかもしれません。
ただ、もしかするとこれからの時代、いっときの間、女性優位や女性の神格化がまた起こる可能性があります。
さらには、社会学者宮台真司さんがおっしゃるように、社会は法の檻として、男性(性)優位を強固にする可能性もあります。
今の社会に適応していくことは、宮台さん用語で「法の奴隷」「損得勘定野郎」になってしまいますし、女性の神格化が起こったら、女性としては一種の心地よさを感じるかもしれません。
この男性(性)優位が物事のバックにあることを、どれだけ気づけるようになれるか!
ここが現代人に試されている、と私は思うのです。
古代日本の王族は、男も女も同じく「ミコ」(御子、王)と呼ばれていたそうです。
古代日本の庶民は、男も女も一緒になって村の政治に参加し、神事においても、男女それぞれの力が必要でした。
男性(性)と女性(性)は、一対でないといけないのです。
私個人の考えとしては、
目指すべき未来は双系的社会!
男女ともに幸せになれる世界を創出していきたいと思っています。
というわけで、コスモ・ライフォロジーが考える未来予測のお話でした(^^)
次回もお楽しみに♪