私の宇宙からこんにちは、natanです。
このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第53回放送時のトーク内容全文をご紹介します。
本日のトーク内容
さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
今日は、心の構造に関する数字のお話をしてみたいと思います。私たちは、数字は、ただ数を表すもの、ただ数を数えるものというふうに思っています。しかし、じつは数字にも、言葉のように、いろんな意味が含まれていることをご存知でしょうか?
数秘術占いといったものなら、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんね。私は心理学、とくにユングを通して深層心理の世界を探究しているので、今日は、深層心理学的な数字のお話をしてみたいと思います。
心の世界における数字の意味
2と3
まず、心の世界はさまざまな関係性によって成り立っている世界であり、その関係性は「1+1=2」「私+私じゃないもの=2」で表されるので、この世界では数字の2からカウントが始まります。通常数字は1から始まりますが、心の世界において1は最後に出てきます。
心理学的にみると、2という数字は女性的なものを意味します。女性的と言っても、ここでの2は、まだ性別が曖昧な子どものようなイメージです。そして、3という数字は男性的なものを意味します。
心の全体性=4
次に4。これが、心理学的にもっとも重要な数字になります。
4という数字は心の全体性を表し、それはユング心理学でいう自己(セルフ)を象徴するものになります。私たち人間は、この心の全体性である自己(セルフ)に近づくために意識成長に励んでいて、その成長過程をユング心理学では「個性化への過程」と表現します。
私たちにとって、心の全体性である自己(セルフ)という言葉は聞き慣れないものなので、それをイメージするのは難しいのですが、心の全体性は、言い換えると、それは「魂」と表現することもできます。魂と聞くと、それを一つの丸いものとしてイメージするかと思います。そう、魂は丸であり、玉でもある。
そして4という数字に話を戻すと、4は図形で表すと四角形になります。四角と魂の丸、私たちはそれらをまったく別の形として認識しています。しかし、錬金術師の言葉で「円は四角でもある」という言葉があり、丸も四角も心理学的にみると同じものを指しているのです。
(寄り道)ヌーソロジーのカタチのお話
ちょっとここで、ヌーソロジー学習にも繋がる、形のお話をしてみたいと思います。
円と四角は同じものを指しているといっても、円と四角は明らかに形が違います。この形の違いは何を意味しているかというと、それは、円は意識化できていないもの、四角は意識化できたものという意味の違いがあります。
先ほど、「魂は丸であり玉でもある」とお話しましたが、今現在、魂は見ることも感じることも難しい、つまり意識化することがたいへん難しいものなので、だから丸で表現されるんですね。そして、この意識化できないものが意識化できたとき、丸が四角へとその形を変えます。
ですから、ヌーソロジーでは幾何学を用いて心の構造を捉えていきますが、この幾何学が意味することは、「見えない心を構造化させたよ」「意識化させたよ」ということの表現だと私は考えています。
無意識的なものを意識化させることを、ヌーソロジーでは「削り出す」「彫塑する」と表現し、「無意識を彫塑していこうよ!」と話すのですが、そう話す背景には、このような形が持つ意味があるからだと思います。けっして、心の構造や目の前の空間が物理的に幾何学の形をしている、というわけではありません。これは、観念的なものです。ぜひ、このことを覚えておいてくださいね。
三位一体と四位一体
四位一体について
四角形も心の全体性である自己(セルフ)や魂を表すものになります。そして、それは全体性を表す1でもあります。つまり、心は四位一体構造を持っている、ということになります。この四位一体構造、または四者性と表現することもあるのですが、この構造はもっとも普遍的な元型の一つだというのがユングの教えです。
しかし、「四位一体ってなんじゃそりゃ?」っていう感じですよね。
三位一体ならかろうじて耳にしたことがあると思いますが、四位一体はお初にお耳にかかる言葉だと思います。
四位一体のわかりやすい例は、これまでシリーズでお話してきた、ユングのタイプ論における気質の四構造を思い出していただけるとよいと思います。
気質には、直観機能、感覚機能、思考機能、気持(F)機能の四種類があり、第45回放送時に、それら機能は人それぞれ組み合わせと優位性が異なり、とある機能が優位性をもつと、それと対をなす機能が苦手機能になるというお話をしました。
そして、一人ひとりが、ユングがいう個性化の過程へ進むためには、苦手機能と向き合い、各機能のバランスをとる必要があること。それに取り組むことによって、次第にどの機能が優位で、どの機能が苦手かという区別のない、4つで1つの新しい心的構造が生まれるというお話をしました。これが四位一体の心の構造であり、私たちはこれを目指したいんですね。
三位一体が生まれた背景
ところで、三位一体というのは、みなさんもご存知のように、キリスト教の教義です。この世界のすべては神の現れであり、父と子と精霊は一体であるという教えです。
おっと、ここでは三位一体が全体の1を表すようです。先ほどの4とは考え方が違いますね。
それもそのはず、キリスト教は精神における三位一体を基本としているからです。そして、一神教の教えは、自我性の統合を目指すことを目標にしているからです。
自我性の統合とはどういう意味かというと、ユングは古代キリスト教最大の神学者であるオリゲネスという人の言葉を引用して説明しているので、まずはその言葉をご紹介します。
「汝は知る。彼は一人のように見えるが一人ではなく、彼のなかには彼の欲望の数と同じだけの(異なった)人々がいる、ということを」
このオリゲネスの言葉をユングは引用し、「人間の心は安全に統合されていると言うには程遠いものだ」と話します。
どんな人でも、普段から感じていると思いますが、自分の内的世界では、あらゆる欲望や嫉妬、不平不満の声が湧いていますよね。そういったものに憑依されて、ときに人は問題行動をとってしまうことがあります。私たちはそうならないように、なんとか自制して頑張っているわけですが、危ない場面は幾度となく体験していると思います。
ですから、オリゲネスによると、キリスト教徒の目標は内的に統一された人間になることであり、自我性の統一、それを全体としての1としているんですね。そして、欲望や嫉妬など、自我を脅かしたり誘惑したりする内的な力を(それらは本能の世界である無意識領域から湧いてくるのですが)、それを四番目としてカウントしているんです。
一神教において、自我を脅かす本能の領域、そして無意識の領域は悪とされたため、四番目を省いた三者構造だけが重要視されるようになりました。ここに三位一体の教義が生まれました。
三位一体の根強さ
私たち日本人にとって、一神教の教義は馴染みがないですし、三位一体なんて自分には関係がないことだと思うかもしれません。
でも、ここでまた気質の四構造を思い出していただきたいのですが、私たちも自分の四番目にあたる苦手機能と向き合えず、三つの機能だけを優位に働かせてしまっていますよね。苦手機能を毛嫌いしているわけですが、そのように私たちが気づかないところでも三位一体は力を持っています。だから、関係がない話として流すことはできないんですね。三位一体構造はとても根深いものなんです。
4番目に目を向ける時代がやってきた!
しかし、三位一体構造で文明の歩みを進めてきた私たち人類は、今や大きな壁にぶつかっています。世界は病み、私たちの心も病んでいるこの時代。いよいよ、忘れ去られてきた四番目に意識を向けるときがやってきました。この4こそが、新しい世界を切り拓くゲートになっているからです。そして、4は女性原理を表すと言われています。
私は前回の放送時に、「私たち人類の意識がこれから進出していく新しい世界は、情動がうごめく世界であり、それは女なるものの世界である」というお話をしました。そう、その女なるものの世界を拓くのが4なんですね。
「じゃあ、四番目を取り入れればいい、4のゲートを開ければいいのね!」と安易に考えてしまいがちですが、しかし、事はそう簡単ではありません。なぜなら、新しい世界へと繋がる4のゲートは、今現在、分厚い扉と頑丈な鍵でかたく閉ざされているからです。
もし、間違ったやり方でそのゲートを開けようとするならば、集合的無意識の奥から恐ろしい者たちがやってきて、あなたを深いふか〜い闇の世界へ引きずり込んでしまうことでしょう。だから、4のゲートは正しく開ける必要があるんです。そのためには、深層心理学的な知識と、鍵を開けるための技術習得が必要になります。
おとぎ話は心の教科書
おとぎ話とは
この4のゲートの開け方、そして、その向こう側に広がる新しい世界へどう入っていけばいいのかということを、古来より教え伝えてくれているものがあるということをみなさんはご存知ですか?それは、おとぎ話や地方に伝わる民話、そして昔話です。
ユング派のフォン・フランツによると、昔から親しまれているおとぎ話(それはかつて地方民話だったわけですが)というのは、超心理学的で奇蹟的なお話でもあり、それらは覚醒時幻覚という形で、集合的無意識が意識に入り込んで出来上がったものだと言います。
ですから、おとぎ話や昔話は、見えない心の世界やその構造を物語風に表現したものであり、そこには心の構造性である四位一体構造が自然な形で描かれているんですね。
おとぎ話が教えてくれること
おとぎ話の例を一つあげて、その世界を見てみましょう。
昔むかし、あるところに、大国を治める王様がいました。その王様には三人の息子がいて、一番目と二番目の息子はよくでき、三番目の息子だけはでくの坊でした。王様は、自分の後継者を決めるため、「○○を見つけてこい」という命令を三人の息子に出して、その命令をすべて達成できた者を次期王様にしてやろうと言います。
息子たちは、王様に言われたものを探しに、あちこち飛び回りますが、でくの坊の三番目の息子だけはどうも上手く探せません。そんなあるとき、彼の目の前に動物や女性が現れて、彼をサポートしてくれました。そのサポートを受けて、でくの坊の息子は王様からの難題をクリアし、次の王様になることができました。そして、お姫様とも幸せな結婚ができましたとさ、チャンチャン♪というお話です。
私たちは、こういった話をファンタジーとして読んでしまうのですが、ユング心理学では違うんですね。三人の息子たちは三位一体を象徴したものであり、それでは何かが足りないということで、王様は息子たちに4を探させるわけです。
そこで現れる動物や女性。それらは4のゲートを守る存在であり、無意識領域からこちら側へやってきた者たちです。動物も女性原理に属します。それらは、ときに自ら姿を現すこともあれば、王子様が洞窟や地下室などに入っていき、そこで出会うということもあります。そこで描かれる洞窟や地下室へ向かう行為は、無意識の深みに入っていくことを象徴しています。
そして、王子様は動物や女性(のちのお姫様)と協力しながら、課題を乗り越えていきます。ミッション達成後には、三番目の息子はお姫様と結婚して、ここに四位一体構造が布置されます。だから、4というのはお姫様の獲得であり、心理学的な言い方をすると、女性性やアニマの獲得を意味するんですね。
このように、おとぎ話は、どうすれば心の全体性としての四位一体構造に近づけるのかということを、イメージ豊かに物語風に教えてくれる心の教科書でもあるのです。そして、課題達成には4のサポートが必要である、ということも教えてくれています。
子どもの成長におけるおとぎ話の重要性
おとぎ話や昔話というのは、なぜかとても印象に残りますよね。小さい頃に読んだおとぎ話や昔話の内容は、大人になっても忘れることがありません。そして、おとぎ話から勇気をもらうことも多々あったと思います。それはなぜなのでしょうか?
その理由は、おとぎ話は論理的思考ではなく、全体的思考を使って読んでいくものであり、物事を因果関係ではなく、物事の連関を直観・感覚的に捉えるからだそうです。それを通して、より大きい連関の中で物事を考える能力が養われるのだそうです。
だから、今、自分が物語の主人公のように苦しい状況にあったとしても、問題の解決方法はかならずあるということ、最後にはその問題は解決できること、今の苦しい状況は変化の一過程でしかないことなどをおとぎ話から読み取ることで、勇気や励ましをもらうのだと思います。子どもへの本の読み聞かせや昔話を語ってあげることは、子どもの全体的思考力を養うために必要なんですね。
大人の想像力の重要性
さらに、おとぎ話は読み手のイメージを喚起し、読み手の想像力を誘いだす力もあります。じつは、この想像力が4を獲得する際に必須の力になると私は考えています。
なぜなら、4の獲得というのは、論理的思考で達成できるものではなく、経験論的思考と、親子や男女の間で行われるような繊細な感情のやり取りが必要になるからです。このときに、前回お話した感情機能を働かせることが必須になるわけですが、この機能を働かせる際に基盤になるのが、経験をベースにした想像力だと私は考えています。これは、子どもは持っていない、成熟した大人の想像力です。
4を獲得する際、そこを守る女性と、かならず、何かしらのやり取りを交わさなければいけません。この女性とのやり取りがとても難しいんですね。ときに、女性が出す問題や課題に、男性が真摯に応えなければいけないという場面もあったりします。
4である女性、つまり無意識とやり取りをするとき、自我意識の成長レベルに合わせて、そこでのやり取りの難しさのレベルが変わってきます。
自我意識が精神的に未熟だったり、自我意識が強すぎたりする場合、心の全体バランスを整えるための補償作用が働くので、その男性の前に現れる女性は、その男性の未発達な女性性(アニマ)のレベルに似合った強烈なタイプが現れることになります。下手をすると、その強烈な女性は、男性を心理的な死へ誘うこともあります。
ですから、4を得ることは、じつは、とっても難しい作業だということが言えます。4の獲得以前に、まずは自分自身が人生を通してあらゆる経験をして、そこからいろんなことを学び、人間的にも精神的にも成長を遂げていないといけないからです。その上で、経験論的思考と発達した感情機能をもって4と向き合わなければいけないからです。
「私たちはなぜ人生を生きるのか?」というと、それは4と向き合うため、そして、心の全体性である1に近づくため、ということが言えると思います。
日本の昔話に描かれる四位一体
さて、お話をおとぎ話に戻しましょう。
じつは、日本の昔話にも、四位一体はちゃんと表現されています。ユング派の河合隼雄先生は、岩手県に伝わる昔話『火男』を例にあげてお話されています。その話は、ひょっとこのお面が生まれた背景を描いたものです。
『火男』の内容についてはかなり端折りますが、主人公の男性が薪を吸い込む穴の中に入っていくと、そこには翁と美しい女性と出べその子どもがいた、というものです。のちにその子どもを家に連れて帰ると、子どもの出べそから金が出たという話です。
ひょっとこ誕生の結末はともかく、物語に描かれている穴の底は無意識領域を象徴したものであり、ときに無意識は水、そして海や池の底などで表現されることもあります。
河合先生は、日本の昔話にはこの翁と女性、子どもの三者構造がよく描かれていると言い、これを「水底の三者構造」「水底のトライアッド」と名付けていらっしゃいます。
いや~、これすっごく良いネーミングだなと思います。
この翁と女性、そして子どもの三者構造。第51回で、日本人の自我性は女性的であるとお話しましたが、河合先生いわく、日本人の自我は、この水底のトライアッドに支えられていて、日本人の意識はときに老人のようであり、ときに女性の意識のようであり、ときに少年のような意識である、あるいはこれらが混在するような意識を持っているとおっしゃっています。
そして、四位一体構造の話に戻ると、翁と女性、子ども、そして主人公の男性、これは日本人の自我を表していると思われますが、それを合わせて四位一体になります。
先ほどもお話したように、日本人の自我は水底のトライアッドによって支えられているので、無意識領域の三者構造が自我意識に頻繁にアクセスして、無意識のほうを振り向くように仕向けるそうです。これも無意識側からのサポートだと思われます。
ところがどっこい、浦島太郎伝説にもあるように、竜宮城で楽しく過ごしていた浦島太郎は、あるとき急に「残してきた母ちゃんが心配だから帰りたい」と言ってそこを去ってしまう。これが日本人の自我性なんですね。河合先生は、そんな日本人が生み出す社会を「母性原理を基礎にもった永遠の少年型の社会」とズバッと言い当てました。
いや~、鋭い考察です…。
他にも、見るなの禁を破って女の秘密を見てしまい、それを悲しんだ女は姿を消してしまうといったものもありますよね。せっかく4なるものに触れているのに、最後の最後で失敗してしまうのが日本の昔話の特徴で、悲しくもあり面白おかしいところでもあります。
西洋のおとぎ話も、4からのサポートがあるにも関わらず、主人公がそれに気づかないという展開があります。自我意識が優位過ぎるがゆえに、無意識側からのサポートに気づけないというのは、まさに現代人の意識状態をありありと描いているように感じます。
西洋と東洋のおとぎ話の共通点
西洋のおとぎ話、日本の昔話、どちらにも共通することは、物語のスタート時、世界は三位一体構造になっていて、その世界には不穏な空気が漂っているということ。そこで「何かが足りない」と気づき、物語は進んでいくということ。
その足りないものが4であり、そこにはかたく閉ざされたゲートがある。そのゲートの向こう側には美しい新世界が広がっていて、無意識領域から現れる女性や動物(ときどき鬼なども出てきますが)、そういった者たちと主人公がやり取りを交わし、ときにサポートを受けながら、ときにけちょんけちょんにいじめられながらも4を獲得していくというストーリー展開。
4を獲得できたということを、おとぎ話では「幸せな結婚」として表現しています。そして、のちにお姫様は王子様との間に子どもを身ごもることになります。その妊娠こそが心の全体性を象徴するものであり、4が1となったものだと考えます。そこにきてようやく、ユングでいう個性化が達成されるのだと考えます。
ですから、4を獲得する際、そこに立ちはだかるのが女性原理であり、そこに4と向き合う難しさがあるわけです。
4を封じた一神教
人間の三位一体の意識状態は、物事を一面的にしか捉えません。しかし、4である女性原理は多面的な性質をもっています。その多面的な4を三位一体の一面的な意識で捉えたとき、そこには光と影が出現することになります。すると、女性原理を象徴する4は、光の側面である女神と、影や闇の側面である魔女という形に分離してしまいます。魔女は人間を脅かす存在と捉えられたため、だからキリスト教は4を封じたんですね。
でも、さすがのキリスト教も、4の光の側面である女神は切り捨てることができなかった。だから、三位一体構造の外に、マリアという存在を立てたのだと思われます。
ヌーソロジーも四位一体構造をもっている
ヌーソロジーは、宇宙の基本的な構造は双対構造だと言います。私も、過去の放送で双対構造についてお話していますが、この双対構造も、本当は、四位一体構造をもっているのです。
双対構造は数字で表すと2になります。2は双子を意味し、その双子を一組とするわけですが、双子を一組としたならば、それは二位一体になってしまいます。しかし、二位一体に対しても双対構造が発動するので、もう一組の双子が登場する形になります。ここに四位一体が布置されます。
このように、ヌーソロジーの構造も、本当は、四位一体構造なのですが、ヌーソロジー初心者さんにとって、構造論としての四位一体は理解がたいへん難しいだろうと考えたので、だから私は双子の構造だけを取り上げて解説しているという背景があります。でも、今回ユングを通して、ようやく四位一体に触れることができたので、「やっとここまできたかあ、良かったなあ」と思っています。
四位一体を大切にしてきた日本
四位一体構造は、未だ達成されていない心の構造ですが、私は身近なところにも四位一体があるということに気づいたので、最後にそのお話をして、今日のお話を終わろうと思います。
うちの近所に住吉神社があるのですが、散歩やジョギングをする際は、かならずご挨拶に伺う神社さんです。ここに祀られている神様を見てみると、男の神様が三柱(ソコツツノオノミコト、ナカツツノオノミコト、ウワツツノオノミコト)と、女の神様(オキナガタラシヒメノミコト)が一柱、計四柱が祀られているんですね。これを知ったとき「あら、きれいに四位一体だわ」と感動しました。日本は、もしかしたら、古来より四位一体の重要性をしっかりと認識していた国なのかもしれませんね。
というわけで、今日は四位一体についてのお話でした。おとぎ話にも触れながらお話してみましたが、いかがだったでしょうか?想像力を駆使して心の世界を見ていくこと、これがユング心理学の面白いところなんですよね。次回も、想像力をフルに活かしながら、今度はより深く4のその先に迫ってみたいと思います。
それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!