私の宇宙からこんにちは、natanです。
このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第51回放送時のトーク内容全文をご紹介します。
本日のトーク内容
さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
ここ最近は、シリーズでユングのタイプ論についてお届けしています。今回は、私たち日本人の気質についてお話したいと思います。
今回のお話は、山口實さんの書籍『ユングのタイプ論に基づく世界諸国の国民性そして内向型国民の優れた特性』を参考にして、進めていきます。
世界諸国の国民性について
まずは、世界各国の人々の気質についてお話したいと思います。気質の大枠は、これまでもお話してきたように、外向型と内向型の二種類に分かれます。
外向型国民
外向型国民はこちらです。
内向型国民
次に、内向型国民はこちらです。
著者の山口さんいわく、「その国において、皆が皆、例外なくその気質をもっているということではなく、そういうタイプの人が、この国では人数的に、影響力的に、多数派になっているということで捉えてほしい」とお話されていました。
日本の場合、「内向感覚・気持(F)型」の人が多いということになりますが、国民の気質は、言い換えると、日本人の集合的な気質、ときにそれは社会の気質でもあると考えます。なので、そのように見ていってもよいかもしれません。
生命の樹
そして、本題に入る前に、もう一つお話しておきたいことがあります。第44回で外向型と内向型の違いをお話しましたが、そのときは、それぞれの気質には生物学的に先行するものがあるという内容をお伝えしました。
今回はもう一つ、生物進化の概念図である「生命の樹」をベースに、外向型と内向型の違いをお話して、その後に今日の本題に入っていきたいと思います。
ダーウィンの登場以来、進化の研究者はほぼ共通した見解を持っています。それは、生物進化を全体として捉えるとき、生物圏全体はちょうど一本の樹木が成長するように成長してきた、というものです。
「生命の樹」が成長するとき、二方向への動きがあります。ユングによれば、「人が外向型あるいは内向型となるその違いは、まさにその二方向への動きの違いだ」と話します。現実の適応を求めて、横方向に枝を広げようとするのが外向型の動き、理想を求めて幹を上方向に伸ばそうとするのが内向型の動きになります。
「生命の樹」を見てみると、今現在私たち人類は、上から二番目の赤い樹の部分ですね。そこからさらに黄金の蓮のような花が咲いていますが、それが今後人類が目指すであろう超人類メタアントロポスの発生だそうです。
この絵を見る限り、なぜ内向型を称賛するのか、その理由が理解できますね。内向型の意識の方向性が超人類発生の方向だからです。でも、私はヌーソロジーをベースに考える人間なので、上に上昇する内向型の意識の動きというのは、人間が考える内向型の性質とは異なったものだと考えています。
なぜなら、樹は真ん中からどんどん新しいものが生まれていて、それはただ内向型の意識を優位にもち続けた結果ではないと思うからです。ヌーソロジーには「等化」という概念があるのですが、等化とは、この話でいえば、外向型と内向型がペアを組んで、新しい性質を生み出す作用のことだと言えます。
蓮の花は泥の中から咲きます。その泥は、すべてが混ざり合っているものを象徴していて、それは外向性と内向性をミックスしたものとして考えることができます。そこから生まれるのが超人類だと思います。内向型を称賛したい気持ちもわかるのですが、内向型においても欠点というものがあるので、手放しで称賛できないというのが私の考えです。
ただ、厳密に考えすぎると、話が複雑になってしまうので、とりあえず今回のお話では、「生命の樹」で見た場合、外向型と内向型の違いは、枝を横に広げるのか、それとも幹を上に伸ばすのか、という違いがあることを覚えておいていただければと思います。
日本人の気質
ではここから今日の本題、日本人の気質についてのお話に入ります。
日本人の気質は、「内向感覚・気持(F)型」になります。日本人の特徴として挙げられる代表的なものは、謙虚、正直、勤勉、感謝です。内向型は集合的無意識の影響を大きく受けやすい特徴をもちますが、私は、日本人は他国の内向型国民と大きく違うところがあると感じています。それは、客体の存在に対する認識の違いです。
日本人の特殊性
他国の内向型国民にとって、国同士は地続きになっているので、客体といえばそれは他民族という認識になると考えます。でも、日本は島国であり、古来日本人にとっての客体は人ではなく自然だったと考えます。もちろん、日本人にとっても他の国からやってきた人々は、ときに驚異だったかもしれませんが、それを遥かに凌ぐ驚異というのは、自然の過酷さだったと考えます。
その厳しい自然を相手にしてきた日本人にとって、嘘をつくこと、仕事をテキトーにこなすことは、自らの命、そして家族、共同体さえも無きものにしてしまう危険性があったと思います。自然に対して嘘はつけない、ということを学んだのだと思います。
さらに、日本は自然災害の多い国なので、災害のない日々を心からありがたいと感じ、穏やかな日々に対して自然と感謝する気持ちを持った、また、温泉文化に見られるように、自然災害を通してもたらされた恩恵もありがたく頂戴してきた、その上に日本文化が成り立ってきたということ。こういったことが日本人を勤勉で、正直で、感謝という気持ちをもつ民族に育てたのかなと考えます。
日本語の特殊性
その他、日本人が他国の内向型国民と大きく違うものに、日本語があります。解剖学者であり東京大学名誉教授である養老孟司先生が、とても興味深いお話をされていました。
養老先生いわく、日本語は感覚的な印象を非常によく残した言語だとのこと。それをよく示しているのがオノマトペと呼ばれるもので、「しみじみ」や「つくづく」などといったものです。このオノマトペは、英語で表現することができません。日本語にはオノマトペの種類が豊富にあるそうです。
このオノマトペは感覚よりの言葉で、日本人の文化と感性がいかに感覚によっているかを表しているそうです。そして感覚によっていくと、すべてのものが一つにまとまってくるとおっしゃいます。内向型は一つにまとまる特徴がありますが、これが日本語にもしっかり現れているんだなと「しみじみ」思いました。
補助機能の気持(F)について
さて続いては、補助機能である気持(F)機能について触れたいと思います。
日本人は補助機能に気持(F)機能をもつので、論理的思考が苦手です。この思考は、研究分野のことではなく、日常生活の具体的場面における論理的思考が苦手だという意味です。「理屈がこうだから、こうするべきだ」という判断ではなく、日本人は「理屈はどうであれ、ここはこうするのがよい」という判断を下します。こういった判断も感覚によっているからかなと思います。
また、気持(F)機能を補助機能としてもっているので、議論をとおして物事を解決することを嫌います。日本人にとって長時間の議論は、けんかをしていることと変わらないからです。
思考の弱さをカバーする日本人
そんな中、日本人が思考の弱さをカバーするために身につけた態度があります。
思考の弱さから、おのずと保守的になったり、権威に頼ったりしてしまうようです。しかし、深層心理学の視点から考えてみると、これは以前もお話したように、日本人の意識はこころの全体性である自己(セルフ)の影響を受けやすいためにこういった形をとるしかなかった、という理由が挙げられると考えます。
セルフの影響力は絶大です。その力に人間は勝てません。「日本人は本音と建前を使い分ける」と悪い意味で言われたりしますが、いやいや、そうしなければ日本人の自我性が保てないからそうしているのだ、という新たな解釈を加えてみてはどうだろうかと私は提案したいです。
女性的な日本人の自我性
日本人はセルフの影響を大きく受けるとおっしゃったのは、ユング心理学を日本にもたらしてくださった河合隼雄先生です。河合先生いわく、日本人の自我性は、じつは女性的だそうです。その逆で、アメリカを代表とする外向型国民の自我性は男性的とのこと。
参考図書の著者である山口さんの「日本人は内向感覚・気持(F)型」という考察は、河合先生の「日本人の自我性は女性的」ということをより具体的に証明してくださったと感じます。そして何を隠そう、日本神話における日本国のトップは、女神である天照大御神です。ちゃんと神話に描かれていましたね。
日本人の自我性が女性的ということは、文化も社会のあり方も女性的だということ。日本人がきれい好きなこと、センチメンタルで心を揺さぶる音楽、詩、俳句などを好むこと。感情が移ろうように、四季も移ろい、それを通して見せてくれるさまざまな美しい景色の変化。「理屈はどうであれ、ここはこうすべき」と考えること。繊細な意識、親切丁寧な態度。そこから生まれるものづくりの力、技術力、多種多様な商品展開。
私は、とある在日アメリカ人のパパさんが、家族の毎日をYoutubeであげている動画が好きで見ているんですが、そこのママちゃんが「私は100円ショップが大好き!」と言って、楽しそうに100均で買い物している動画があるんですね。それを見ると、やっぱり女性の気質はどの国でも似ているんだな、こういうふうに商品展開をしないと好いてくれない日本人は、男女問わず自我性が女性的なんだなとしみじみ思いました。
ちなみに、ここで言っている女性的な自我性というのは、日本人男性が女性的だと言っているわけではありません。日本人の集合的な気質が、多様性、思いやり、おとなしい、心情的という、女性性である感覚に由来したものをもっているという意味で言っています。
日本人の「無私性」
そして、人間関係という点においては、参考図書の著者山口さんは「無私性」という点をあげていらっしゃいます。内向型社会の人々は単独を嫌い、集団の一員になることを好みます。その背景には「日本人の考え方の根本的な特徴に無私性というものがある」とおっしゃいます。
日本人は、「まずロゴス(論理、規則、法律などのこと)ありき」ではなく、「まず人間関係ありき」からスタートするとのこと。アメリカに代表される外向型国民は、個人がまず存在し、個人と個人との間に人間関係が形成されるという考え方を持っています。
しかし、日本人は人間関係が、人が、自分自身を見出す場として先に存在しているとおっしゃいます。自分のためではなく、他者のため。自分ではなく他者が先に立つこと、それが「無私性」です。
さらにその人間関係においては、客観的規範に従うよりも、感性的な融合としての和の実現が求められているとのこと。そしてその和は、何よりも信条における無私性によって実現されるものと考えられるとおっしゃいます。まさに、大和の国ですね。
ですから、たとえば、外国から新しい思想や概念が入ってきたとしても、日本は独自の形にそれらを変えてしまうことがあります。「まずロゴスありき」ではなく、それらをまずは心情的に捉えてからでないと受け入れられない気質をもつので、だから日本人は外国から輸入したものを独自の形に変えてしまうのだそうです。そういうことも、その行為の本質には「無私性」そして「和」というものがあるからだそうです。
誤解されやすい日本
「日本人はなんでもガラパゴス化させる」と、海外そして国内からも揶揄されることが多々ありますが、そもそも内向型というのは、外向型とはまったく違う気質であり、深層心理学的に見ないと理解できないような心の構造を持っているので、どうしても外向型の人たちから誤解される傾向があります。
前回もお話したように、世界的に外向的思考が肥大化している現代において、日本国内からも日本人を批判する声が多々あがっていますが、外向的思考で日本を捉えたら、それはさすがに内向型国民の本来の姿は理解できないだろうなと思います。誤解され続けている日本を思うと、すごく心が痛みます。
今、「女性性を大切にしよう」という動きが広がっていますが、これは日本にも当てはめて言うことができると考えます。女性性を理解すること、女性性を大切にすることは、翻って、日本を再解釈することに繋がると私は考えています。
不思議な話に聞こえるかもしれませんね。女性性を理解することが日本を理解することに繋がるなんて。
日本人の本質を理解できないゆえに日本を悪く言ってしまうこと。「この国はもう駄目だ、沈むしかない」と結論づけてしまうこと。考えもなしにそういった言動をすることは、私にとっては最大の女性蔑視であると感じています。「日本が~」と一括りにして言うのではなく、批判対象を明確に分けて言ってほしいと節に願います。
そして、これが私にとって一番重要なことなのですが、日本は沈むことで再起を目指す必要はまったくありません。女性性、そして深層心理学をとおして心の構造やその性質を理解することから生まれる私たちの再解釈によって、本当の日本を蘇らせることができると考えます。壊して再生させるという考え、それ自体が外向的思考であり、男性的です。まずは受容すること、これが内向的気持(F)機能の役割だと考えます。
日本を再解釈するためには、深層心理学からの学びがとても重要だと感じます。たぶん、日本は心の構造や内的な世界を知ろうとしないかぎり、絶対に理解できない国だと私は確信しています。そのくらい謎多き国、神秘の国、それが日本だと思います。
日本の良さを逆輸入しよう!
先程ご紹介した、「Life in Japan」というYoutubeチャンネル、ライター一家の日常を映した動画ですが、このライターさんご一家は宣教師として、日本にキリスト教の教会を作るために来日されたご家族です。在日9年目くらいです。そのキリスト教の牧師さん一家が、外国人の視点から日本の良さを発信してくれています。
宣教師として来日された方たちから、私は日本の良さを逆輸入しています。ライターさんは、コロナによる規制緩和によって日本に訪れる外国人が増える中、その方たちに対して、このようなメッセージを伝えてくれていました。「来日したら、日本の文化に敬意を払ってください。日本は静かで平和な国です。日本の平和な文化を私たちは尊敬しています」と。ありがたいですね。国境を超えて、人は心を介して繋がることができると、このご家族を通して改めて思います。
外向的思考では理解できない、心という場を通して融合しあう日本人と世界諸国の人々。でも、この見えない心の場を知るためには、女性性そして「こころ」を理解していかないといけない。日本に対する誤解も、そのことが理解できないから生じてしまっていると私は考えています。
日本だけではないですね。今もまだ戦争を続けている他の国々もそうです。みんな誤解から争いが生まれています。
まとめ
相互誤解から相互理解へ。今回参考にした本の著者である山口實さんが、最後にそのように記していました。相互誤解を相互理解に変えていくためには、深層心理学の知識が重要になるということ。ユング心理学のタイプ論は、日本そして他国を理解するためには欠かせないものだと感じています。
私としては、このタイプ論をとおして、愛する人をしっかり理解していきたい、そして誤解され続けている日本に対しての再解釈も提案していきたいと強く思っています。日本の再生は、私たち日本人の内側から始まります。
私は右でも左でもなく、真ん中の人間でありたい。「生命の樹」の真ん中の樹のように。
このお話が、みなさんの気づきの一つになったら嬉しいです。
それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!