本日のトーク内容
皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
前回は、天地初発についてお話をしました。今回は、イザナキとイザナミが登場するシーン、神世七代についてお話したいと思います。
まずは、読み下し文の読み上げから始めます。声をもって訓む部分は赤字で表記し、特殊な訓読みは原文の横に訓み方を記載しています。
原文/読み下し文
次成神名 國之常立神 次豊雲上野神
此二柱神亦 獨神成坐而 隠身也
次成神名 宇比地迩上神 次妹須比智迩去神
次角杙神 次妹活杙神
次意富斗能地神 次妹大斗乃弁神
次於母陀流神 次妹阿夜上訶志古泥神
次伊邪那岐神 次妹伊邪那美神
上件自国之常立神以下 伊邪那美神以前 并稱神世七代
[上二柱獨神各云一代 次雙十神各合二神云一代也]
次に成れる神の名は、國の常立神。次に豊雲野神。
この二柱の神もまた、獨神と成りまして、身を隠したまひき。
次に成れる神の名は、うひぢに神、次に妹すひちに神。
次に角杙神、次に妹活杙神。
次におほとのぢ神、次に妹おほとのべ神。
次におもだる神、次に妹あやかしこね神。
次にいざなき神、次に妹いざなみ神。
上の件の國の常立神以下、伊邪那美神以前を、并せて神世七代と稱ふ。
[上の二柱の獨神は、各一代と云ふ。次に雙へる十神は、各二神を合はせて一代と云ふ]
このシーンについては、現代語訳はなくても意味がわかると思いますので、今回訳は省きますね。前回の話の流れから、この神々もまた、造化三神から葦牙の如く萌え騰る物によりて成ったようです。
解説
神々の数え方
まずは、神々の数え方から触れていきたいと思います。国の常立神、豊雲野神の二柱は、それぞれ一柱で一代と数えると注釈があります。
次に、男女神が登場します。男女神は二柱を合わせて一代と数えます。国の常立神から伊邪那美神まで、すべてを合わせて、神世七代と言うとのことです。
上声と去声
続いては、このシーンでいよいよ『古事記』が口誦の語りであると言われる理由が見えてきます。それは、豊雲野神、宇比地迩神、須比智迩神、阿夜訶志古泥神の名前の中に、音の上げ下げを指示する記号が入っているからです。
見やすいように◯上、◯去と記載させていただきました。音を上げる方を「上声」と言って、上に引き伸ばすように強く発音します。たぶん、「うひぢにぃ~↑の神」と歌うのかもしれません。
また、去る方は「去声」と言って、最初を強く、後を弱く発声します。または、音を下げるような発声でもあるのかもしれません。だから、「すいちにぃ~↓の神」と歌うのかもしれません。
音は全然分かりません!(笑)
上声の方は、立ち上るさまだったり、力強いさま、驚き、感嘆などを表現するときに用いられ、去声の方は、下に向かうさまだったり、おしとやかな感じを表現するときに用いられているのかなと私は考えています。
『古事記』では今後、上声の方はときどき出てくるんですが、去声の方はほとんど出てきません。そこにも深い理由があると思われますが、今のところは、このように音を上げ下げして訓むことによって、何らかの動きある展開を演出していると捉えていただければよいと思います。
神々の整理
前回のおさらい
さて、今度は神々を整理していきたいと思います。まずは、前回の神々を整理したスライドを出しますね。
前回出現した神々を考察した結果、私はこの天つ神たちは、すべての創造の土台を担い、そして、創造に欠かせない技術や智恵、賢さや強さを持つ神々であることを。また、先代の神々の要素は、後世の神々に継承されていくだろうという仮説を立てました。
その流れでいけば、今回出現した国の常立神と豊雲野神も、同じく前回出現した神々を継承している可能性があります。国の常立神には高御産巣日神、豊雲野神には神産巣日神の影響が強く出る可能性がある、のかもしれない。
「お隠れになった」神々から見えた図形
今回の神世七代も、『古事記』の文脈どおり読めば、造化三神から葦牙の如く萌え騰る物によりて成ったと読めます。そして、今回出現した国の常立神と豊雲野神も、ともに独り神で、現れてすぐに身を隠したと言われています。その理由を考えてみると、前回出現した天つ神同様、この二柱が、今度は、国作りの基本要素を担っているからなのかもしれないと思いました。
となると、身を隠したのは合計七柱ということになります。その七という数字から、私はある図をひらめきました。それがこちら。
シード・オブ・ライフです。シード・オブ・ライフというのは、フラワー・オブ・ライフの中心にある図形です。『古事記』の場合、真ん中に造化三神がいて、その周囲を他の神々が囲んでいる形になっているようです。そして、この七柱がお隠れになったということは、この七柱は宇宙創造のための種であり、この種を受け継ぐのが男女神なのかもしれないなと思いました。
神々の名前について
国の常立神、豊雲野神
さて、今度は神々の名前を見ていきましょう。まず、国の常立神からは国に関する刀、タチの要素が感じ取れますね。前回お話した天の常立神の国バージョンという感じかもしれません。
また、豊雲野神には、沸き立つ雲と野原が感じ取れます。この神からは、宇摩志阿斯訶備比古遅神に感じられる、美味しそうに食事から湯気が立っている様子と沸き立つ雲が、そして、カビが領土を広げる様子と、草花が原っぱを形成する様子とが似ているなと思いました。
宇比地迩神・須比智迩神
さて、続いては男女神を見ていきます。男女神は、変わった名前の神様が多いですね。まずは、宇比地迩神、須比智迩神から見てみましょう。
多くの解説書で、「うひ」が泥で、「ぢ」は土であると解説されているようです。ですから、泥や土に関する神様だと言われています。その解釈に私なりの考えをプラスすると、須比智迩神に智恵を表す「智」という漢字が当てられているので、須比智迩神は智恵を持っている神様かもしれないなと思っています。
ちなみに妹は、妻や恋人など、親しい女性のことを意味する言葉です。
角杙神・活杙神
続いて、角杙神、活杙神について。角杙神は、角のような杙を持っている神、活杙神はその杙を活かす神という雰囲気がありますね。角杙神からは、何やら角を持つ、威厳ある強い姿が想像できます。
意富斗能地神・大斗乃弁神
続いて、意富斗能地神と大斗乃弁神について。「おほ」は「大きい」という意味です。そして、「と」はミナト(水門)やノミト(喉)など、水が通る門のようなところを表す言葉だそうで、そこから男女の性器という意味も持つそうです。
でも、私の考えでは、たぶん、この時点で直接的に性器のことに言及はしていないと思うので、男女の性器というよりは、抽象度を上げて、男性原理の力と女性原理の力の出現として捉えた方がいいのかなと思っています。
於母陀流神・阿夜訶志古泥神
続いて、於母陀流神、阿夜訶志古泥神について。於母陀流神の「おも」は面、つまり顔のことで、「だる」は足りている、満たされているという意味だそうです。そこから、この神は「美しい顔だ」と感想を述べている神様だと言われています。
そして阿夜訶志古泥神は、於母陀流神の感想に対して、「あらぁ、恐れ多いわ」と応えている神様です。ここには上声の指示があるので、「あやぁ↑」と訓むのかもしれません。
全然分かりませんが!(笑)
どちらも男女が誘い合う言葉を神の名前として持っているようです。
伊邪那岐神・伊邪那美神
最後に登場するのが、お待たせいたしました、伊邪那岐神、伊邪那美神です。ここで私は、意富斗能地神と大斗乃弁神、於母陀流神と阿夜訶志古泥神の出現がヒントになって、とある構造がイメージに浮かんできました。それが、こちら。
たぶん、これら男女神は、それぞれ別の神々ではなく、一番最後に出現するイザナキとイザナミ、それぞれが含む要素なのだと思います。
そう考えた理由は、イザナキとイザナミの名前はともに音に意味を持つ神々で、イザナキの「いざ」という言葉は、「さあ!◯◯するよ!」という誘いの言葉になっていると考えられるからです。その誘うという態度は、直前に出現した於母陀流神の影響があるからだと思います。
その思考法でいくと、阿夜訶志古泥神は「あら、恐れ多いわ」と受動的な態度を示していて、それが今度はイザナミに継承されていると思うんです。だから、イザナミの「いざ」は、イザナキとは違って、「さあ!◯◯するよ!」という誘いに対して「はい!わかりました!」みたいに応えているのではないかなと思うんです。
つまり、イザナキが誘う男神で能動的、イザナミは誘われる女神で受動的ということになりますね。これが、意富斗能地神の男性原理の力と、大斗乃弁神の女性原理の力の特徴の違いになっているのかもしれないと思いました。
だから、これら男女神は、結果的に、イザナキとイザナミを生み出すために出現していて、それは言い換えると、イザナキとイザナミそれぞれが持つ性質を分化させたのが六代目までの神々だと言えるのではないかなと思うんです。だからこそ、この二柱が次回天つ神から「この国を修め理り固め成せ」と命じられるのだと思います。
その他、音の上げ下げを指示する上声と去声ですが、この指示は、後にイザナキとイザナミが生と死、高天原と黄泉の国に分かれてしまうことを暗に示しているようにも思えました。
最後に
というわけで、以上が神世七代についてのお話でした。
今回のように、『古事記』は今後もたくさんの神々が登場してきます。それらを時系列どおりに読むと、その数の多さから、何がなんだかわからなくなると思います。そして、きっと『古事記』が嫌いになってしまうと思います。
でも、『古事記』を縦読みすること、つまり構造化させて読むことで、神々のとてもシンプルな関係性が見えてきます。だから、構造化は何かと便利です。
また、『古事記』は、あまりこと細かく神様の名前の意味を追わなくても大丈夫だと私は思います。一文字一文字真剣に考えたり、一柱の神様だけに注目しても、わからないことが増えるだけだからです。
『古事記』は全体の連関性の中で語られているので、とりあえず最初のうちは、それぞれの神様の立ち位置や役割をふんわりと定めておく程度でよいと思います。物語を読みすすめていく中で、徐々に神様の立ち位置や役割がハッキリと見えてくるので、そのとき全体を整理すればよいと思います。
さて、前回はたくさん語りすぎてしまったので、今回の解説はこれくらいでやめておきたいと思います(笑)
それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!