私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日から、女性の身体を通して、知られざる女性性の秘密を解き明かしていきたいと思います。
女性器(ヴァギナ)に着目する
これから、女性の身体を通して、知られざる女性性の秘密を解き明かしていきたいと思います。
参考書籍は、批評家で作家、第三次フェミニズム運動の論者の一人である、ナオミ・ウルフさんの『ヴァギナ』からお届けしたいと思います。
▼ 参考文献 ▼
なぜ、女性器に言及した書籍を参考にするかというと…
人間は、身体に性器がくっついています。
その性器の働きによって、男性なら男性ホルモン、女性なら女性ホルモンが優位に分泌され、男女の身体を形作っています。
さらに、その働きによって、私たちの自我や生活、社会そのものも形作られていきます。
そして、
男性性♂や女性性♀は、まさに性器が持つ性質がそのまま反映されたもの
だと考えているからです。
性器は世界空間の構造的射影
ヌーソロジーでは、性器のことを
世界空間の構造的射影
だといいます。
う〜ん、難しい…(笑)
私なりの超カンタン解釈では…
身体を宇宙としてとらえた場合、性器も宇宙の”何か”の現れだと考えています。
宇宙的性器という視点で見てみると、それは世界が陰と陽で活動する中において、そこに男性性と女性性という反転した要素を与える役目を持っているのかなぁと。
人間の身体において、私とあなた、自己と他者という存在は、自分を鏡に写したときのように、ただ身体が反転しているだけです。
そこに、男と女の性器をそれぞれくっつけると、身体の中身や働き、見た目もまったく変わってきますよね。
人間ベースで語るならば、自己と他者という反転した構造に、さらに反転した中身の要素を与えるもの、という感じでしょうか?
ヌーソロジーの先輩方からすれば「定義が違う」と言われそうですが…。
人間の身体は宇宙の縮図
身体をだたの物質ととらえている人間意識にとっては、難しく感じるかもしれません。
コスモ・ライフォロジーがベースにしているヌーソロジーでは、この宇宙は自己と他者で成り立っているといいます。
ここでいう自己と他者とは、人間同士のことではなく、構造的なもの、イデアのことです。
たとえば、2進数を構成するものは「0」と「1」ですよね。
その「0」と「1」を複雑に組み合わせることで、コンピューターは計算するわけですが、人間における「私とあなた」という存在も、「0」と「1」を複雑に組み合わせることによってできたもので、その表現はスケールの違う「0’」と「1’」としてとらえることができます。
宇宙は「0」と「1」、「自己と他者」で成り立っているといいますが、本家ヌーソロジーが語る自己と他者はイデアレベルの「0」と「1」であって、それをベースに語っても何もイメージが湧かず、どうとらえていいのかもわからないというのが私の正直な気持ちでした(笑)
なので、スケールが違うだけの人間の身体における「私とあなた」を「自己と他者」と言い換えて、いろいろ思考していく方が人間意識にはわかりやすいということで、私は身体だったり、それを介して行われる人間関係におけるコミュニケーションに焦点を当てて宇宙の構造を見ていこうとしているのです。
つまり、
人間の身体や人間関係におけるコミュニケーションというのは、ある意味「宇宙論」でもある
と考えています。
性器もこれと同じ考えで、宇宙が自己と他者、宇宙的男女の双子構造で脈動するためにそこに反転した中身の要素を与える宇宙的性器なるものがあって、それが凝縮化されて人間レベルに射影されたのが人間の性器だということ。
さらに、宇宙的男女がセックスによって至高のオーガズムを体験している瞬間に、この世界が出現しているとするならば、当然のことながら宇宙にも宇宙的性器があるわけであって、その結合なくして世界は生まれないということ。
人間のセックスも宇宙のセックスをそのまま表現していると考えれば、人間のセックスも立派な「宇宙論」として考察していけると考えています。
要するに、
私たちの身体は宇宙の縮図
であり、
人間の身体も性器も宇宙の構造がそのまま射影されたもの
ということです。
この宇宙はスケールの大きい宇宙的男女の身体で成り立っていて、私たちはそれを時空という時間軸の中で、スケールを小さく、そしてより複雑にして表現しているという感じでしょうか。
男性にとっても女性性は大切
自己と他者、男と女、陰と陽がまぐわい、至高のオーガズムを体験している瞬間に、この宇宙が存在しているとお話してきました。
そのまぐわいに欠かせないのが性器。
これから女性器をメインに取り上げ、女性性について語っていきますが、女性性は男性も持っています。
なので、けっして男性にとって関係のない話ではありません。
構造で見てみると、男性は女性性を内側に、女性は内側と外側に持っています。
男女ともに持つ内側の女性性は、第一階層で向き合ってきた内なる私の性質ではありますが、なにぶんその子は内側にいるため、存在を捉え寄り添おうとしても、上手くコミュニケーションできない方もいらっしゃるかと思います。
その理由は、現段階では女性性の詳細情報が不足しているので、「女性性の扱い方がわからない=内なる私とのコミュニケーション方法がわからない」というのも一つの原因かなと思うのです。
ですが、階層が一段上がり、自己と他者、男と女の階層に上がったとき、今度はその女性性が女性の体(性器)として表に出てくるのです。
なので、女性の体(性器)の特徴を知ることで、逆に一段下の階層である内なる私との向き合い方も、より詳細にわかってくると思うのです。
結果的に、それは男女の理想的なコミュニケーションを生みだすとも考えています。
そういった理由で、今後は女性器を取り上げていきます。
性器は身体以上のものではない
ちなみに、これから参考書籍として取り上げていく『ヴァギナ』ですが、本の帯にこう書かれています。
「ヴァギナ」とは身体なのか、それともそれ以上の存在なのか。
私の考えでは…
性器は身体以上のものではありません。
この本を読んでみた感想として、この著者さんは少なからず「性器信仰」寄りで書かれているような印象を受けました。(個人的な感想です。)
もちろん、身体にとって性器は非常に重要な器官であることは間違いありませんので、これからどんどん性器の研究・解明は進められるべきだと思っています。
ただし、ここはあえて身体と性器をしっかり区別し、性器信仰することなく、性器は身体の一部であるという視点で考察していくことが大切だと思っています。
なぜなら、私が懸念しているのは、性器を身体以上のものにしてしまうと、LGBTQIAXから学ぶ、新しい性のあり方を今後人間は見出しづらくなると思ったからです。
人間意識には、強固に性器にジェンダー概念が張りついているからです。
まとめ
この件に関してはコスモ・ライフォロジー第三部でお話することになると思いますので、今は詳細に触れないでおきますね。
って、サラリと第三部の予告をするという(笑)
あくまで、「女性器ってこうなのね~」くらいの、軽い気持ちで読んでいただければと思います。
そして、そこから得た情報を元に、人間関係における最適なコミュニケーション方法をまずは異性愛、そして性自認が体と心で一致している男女をベースに語っていこうと思います。
ここで見出されるコミュニケーション方法は、結果的に性別を超えて必要になってくるスキルでもあると考えているので、第三部ではLGBTQIAXの話も交えながら語っていく予定です。
それでは次回よりお話していきますので、どうぞよろしくお願いします♪