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【チベット密教】顕教を学び、そして密教へ~座学の大切さ~

open-book 宇宙と性愛
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

今日は、仏教における顕教と密教についてお話します。

▼ 参考文献 ▼

◎前回までのお話はこちら↓

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後期密教の三つのタントラ

後期密教の時代は、8世紀後半に『秘密集会(ひみつしゅうえ)タントラ』が、

「ブッダは、あらゆる如来たちにとって身体・言葉・精神の源泉である複数の女性たちの性器のなかにおられた(=女性たちと性的ヨーガを行じておられた)」

という、衝撃的な文言を掲げて誕生しました。

そして13世紀の初頭、インド仏教の滅亡とともに幕を閉じました。

その間、約500年。

後期密教は、三つの方向に展開を遂げました。

それが…

  1. 父タントラ(フタントラ)
  2. 母タントラ(モタントラ)
  3. 双入不二(そうにゅうふに)

です。

三つのタントラを代表する密教経典は、下記のとおりです。

  1. …秘密集会タントラ/幻化網タントラ/ヴァジュラバイラヴァ・タントラ
  2. …ヘーヴァジュラ・タントラ/チャクラサンヴァラ・タントラ/サンヴァラ・ウダヤ・タントラ
  3. 双入不二…カーラチャクラ・タントラ

成立した時期からいうと、父タントラ系の『秘密集会タントラ』が8世紀後半で最も早く、ついで母タントラ系の『ヘーヴァジュラ・タントラ』が8世紀末から9世紀、そして双入不二の『カーラチャクラ・タントラ』が11世紀頃とされています。

これら3つのタントラは、それぞれ別々の経緯から成立したらしく、内容的には相当の差があります。

父タントラ

父タントラは、ブッダとその性的パートナーが性的ヨーガを実践して、マンダラを生成するプロセスを、追体験する修行が中核となっています。

つまり、聖なる存在をこの場に生みだそうというわけです。

問題は、どういう方法で追体験をするか…ですが、実際に性的ヨーガを行ずることも、観想(瞑想)のみによることもあったそうです。

秘密集会マンダラ
秘密集会マンダラ

母タントラ

母タントラは、修行者の心身を霊的に変容させ、ブッダと合一させる修行が中核を占めます。

つまり、修行者自身が聖なる存在そのものになろうというわけです。

そのためには、性的な要素を極限まで拡大させ、パートナーとの性的ヨーガを通じて、脈管やチャクラといった霊的器官を駆動させるテクニックが、さまざま開発されました。

母タントラ
母タントラ

双入不二タントラ

双入不二タントラは、父タントラと母タントラを統合しようというもくろみから誕生しました。

その点で、もっとも完成されたタントラといえますが、時期が時期だけに、イスラム教徒との最終戦争を予言するなど、特異な面もみられました。

インド密教からチベット密教へ

このように展開を遂げた後期密教は、戒律重視と解脱重視の対立の難題を抱えていました。

とくに母タントラは、黒魔術的・オカルト的な要素まで取り込んでおり、問題が多かったのです。

もちろん、解決法が見つからなかったわけではありません。

一つの方法は、性的ヨーガをあくまで観想として行ずる、すなわち呼吸コントロールやイメージ操作など、身体技法の限りをつくして、現実の女性と性行為を行ったときと同じ心身状態を実現することでした。

また、黒魔術的・オカルト的な事物や行為を、象徴的に解釈しなおすということも試みられました。

しかし、こうした難題をすべて解決するための時間や人材も、インド仏教界は持ち得なかったのです。

そして1203年、インド仏教最後の大拠点であったヴィクラマシーラ大僧院がイスラム軍に攻略され、インド仏教の命脈が絶たれてしまいました。

かくて、仏教史上、最高ともいうべき難問の解決は、インド密教の後継者たるチベット密教の手に委ねられることとなります。

偉大なるツォンカパ

インド仏教を引き継いだチベット密教は、さまざまな超人的人材によって発展し、さまざまな宗派が展開されていきます。

途中経過は省きますが、このお話で取り上げたいのが、チベット密教の四大宗派の一つであり、最大宗派のゲルク派の宗祖「ツォンカパ」です。

ツォンカパ

ツォンカパ(1357~1419年)の登場によって、チベット仏教が最高の水準に達したのみならず、8世紀のインド以来、つねに問題となってきた顕教と密教の関係、戒律と性的ヨーガの関係などの難問が、一応の解決をみました。

顕教と密教の関係においてツォンカパは、密教を学ぶ者には、あらかじめ顕教を十二分に学ばせ、しかるのちその適性をみたうえで、密教の道に入らせるという規定を厳格に定め、顕教と密教が再び分離する事態を未然に防ぐ措置を講じました。

もっとも、密教を学ぶだけの才能に恵まれた人材がなかなかいなかったのは事実で、顕教の学習を終え、はれて密教の道に入れた僧侶は、一割程度かそれ以下だったと伝えられています。

ツォンカパという超エリートでさえも、顕教を超最速で学び終えたのが30歳半ばで、そこから密教の世界に入ったようです。

39歳頃までは、まだ顕教の完全な理解とまではいかず、知的な理解にとどまっていたそうです。

顕教を学ぶ大切さ

ゲルク派の密教修行では、密教の修行には、顕教の修行を終えていることが必ず求められます。

顕教の修行をせず、密教の段階に進むことは決して許されませんでした。

この点は、ゲルク派とその他宗派とを分かつ、決定的な指標といっていいでしょう。

密教だけでは体験至上主義に陥って、みずからの体験のみを絶対化しがちになる危険性をはらんでいるからです。

ブッダが修行をはじめたときも、各地に師となるべき人物を訪ねたことがありました。

しかし、どの師もいまだ低次元の境地にしか到達していないのに、それを高次の境地と思い込んでいて、ブッダを落胆させたそうです。

同じことが密教のように、体験を最重視する修行にはつねについてまわります。

とくに、ある程度まで密教の修行が進むと神通力が生じることがあり、その力の行使に有頂天になってしまうのです。

顕教の修行というと、どちらかといえば観念的で学問的というイメージがあり、事実、そうした面が存在することは否定できません。

しかしツォンカパは、悟りを求める心を強くもって精進するなら、観念や学問もただ単に知識の領域にとどまらず、いつのまにか修行者の心身に浸透していくことを如実に経験したのです。

ブッダの正しい教えが、修行者の心身に浸透して、その人の内部に可能性としてはらまれているホトケとなるべき種子をはぐくみ育てる。

したがって、この過程を経ないでいきなり密教の修行に入ると、ブッダの正しい教えは芽吹かず、結局は外道に成り果てるしかないとツォンカパはいいます。

まとめ

このツォンカパの教えは、現代でも強く伝えていくことが大切だと思います。

過度な瞑想や行によって、意識変化を起こしたり、体調に異変が起きたりという事例はよくあることです。

そして、今流行りのスピリチュアル情報も「宇宙と繋がる」、それによって願いが叶うとか、それが最終ゴールみたいに話されますが、それで終わりではない。

ヌーソロジーの観察子構造を見れば、まだまだクリアすべき階層はたくさんあるし、こういった顕教的な学びがあるからこそ、次々と自分が歩むべき道が見えてくると思うのです。

無意識の階層性03

なので、ヌーソロジーの理論を学ぶことは、けっして無駄なことではなく、ツォンカパがいうように、まずは理論をしっかり学んでから実践にうつるという過程はとても重要だと思います。

ただ、ヌーソロジーが抱える問題として、顕教的学びのみで満足してしまうというのは、現代自我の幅的思考に拘束されてしまうことにもなりかねないので、やはり座学と実技はしっかりバランスを取って行っていくことが良いかなとは思います。

その点、コスモ・ライフォロジーは安全第一で考えているので、意識や体調に異常が起こらないよう、細心の注意をはらって思想を考案しています。

だからこそ、性をテーマに扱うとはいえど、それは隠喩や象徴として捉えるという部分は、何度も口を酸っぱくしてお伝えしていきたいと思います。

それでは次回は、密教の修行によって訪れる悟りの境地についてお話したいと思います。

次回もお楽しみに♪

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