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【ろじろじラジオ】第29回放送★母性原理と日本人~場の倫理~

母性原理と日本人アイキャッチ ユング心理学
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第29回放送時のトーク内容全文をご紹介します。

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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

前回は母性原理と父性原理についてお話をしました。今回は、母権的意識が強い日本人の意識についてお話したいと思います。

前回放送のおさらい

妊婦

前回の内容を軽くおさらいすると、母性原理とは私たち人類の意識を育てる役割を持ち、肯定的な面では生み育てるものであり、否定的な面は子どもを呑み込み、しがみつき、死に至らしめる面を持っています。母なるものは大地にも表されるように、冬に草木が枯れても、春になるとまた芽吹くように、「死と再生」という二つの側面を持っています。

前々回お話したように、人類の意識はまだ霊的胎児の状態なので、この母なるものの子宮内で育まれている状態です。だから人間にも死と誕生があるのだと思います。この母なるものをユング心理学では「グレートマザー」と呼びます。

この母なるもの、グレートマザーに抗おうとするのが父性原理であり、この意識を強く持つのが西洋の意識です。一神教が女性を排除しようとする理由は、このグレートマザーを恐れてのことだと私は考えています。人間の女性はグレートマザーの娘として同一視されているのではないかなと思います。

場の倫理

絶対的平等に価値をおく

グループ

そしてこの母性原理は「場の倫理」を持ちます。場の倫理とは、母の膝という場の中に存在する子どもたちの絶対的平等に価値をおくというもので、言い換えれば、与えられた「場」の平衡状態の維持にもっとも高い倫理性を与えるものということです。

場の倫理は、日本人に見られる「空気を読む」という意識状態に端的に現れていると思います。

日本においては、場に属するか否かがすべてについて決定的な要因になります。場の中に「入れてもらっている」かぎり、善悪の判断を越えてまで救済の手が差し伸べられますが、場の外にいるものは「赤の他人」であり、それに対しては何をしても構わないということです。

それとは逆に、父性原理は「個の倫理」を持ちます。個人の欲求の充足、個人の成長に高い価値を与えます。

日本人は母権的意識が強いので、どうしても場に支配されがちです。私が思うに、この「場」というのは個人の意識でどうにかなるものではなく、この日本という大地そのものが場を形成しているような気もしています。さらには、やはり日本語の存在が大きいと思います。日本語が私たちの意識を生み出しているからです。

だから、自分ではどうにかその力に抗おうと思っても、結局場に流されてしまうといったように、自我意識では認識できない領域で大きな力が働いていると感じます。

私たちはみな「場」の被害者

場の倫理について、河合隼雄先生が興味深いことをおっしゃっていました。西洋の縦社会においては、上に立つ人は絶対的な権力者です。だから、下の人たちだけが不平不満を言います。

日本もタテ社会だと言われますが、西洋とは様子が違います。下の人は上の人にいろいろ不平不満を言いますが、日本のタテ社会は上の人も個人の欲求を押し殺して、場の均衡を保たなければいけないという義務感があるので、上に立つ人でさえも不平不満を言う、つまり被害者意識を持ってしまう、とおっしゃっていました。

ですから、「日本においては、上も下も、どちらも場の被害者だ」とおっしゃっていたんです。

natan
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これを管理業務に携わる主人に話したら「あー、すっごいわかる」と深く納得していました(笑)

誤解されがちな日本人の意識

戦時中に米軍の捕虜になった日本兵の話がよく挙げられます。米軍の方が日本兵に優しく接したら、日本兵は日本軍の秘密を打ち明け始めたということがあったようです。

この件について、日本人の無責任性がよく問題視されるのですが、これは無責任だからというわけではなく、場が日本軍から米軍へ切り替わったから起こったことだと河合隼雄先生はおっしゃっていました。

個人の責任と場の責任が混同されたり、すりかえられたりするところから、これを問題視する視点が生じてしまうとのことでした。

「場」そのものが日本兵にそのような行動を取らせたのかもしれません。

natan
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だから、何というのでしょうか、「場」という人間ではないもう一つの意識体がうごめいている、それが日本人の意識に強く働いているのかなとも思いました。

時間とともに争いを鎮める「場」

しかしこの「場」は、ときには争いを時間の経過とともに鎮めていく働きもあります。何とかなる、時間が解決してくれる、物事が曖昧になるといったように、場が均衡を保とうとするんですよね。実際それで日本人は助けられているということもあります。ですから、悪い面ばかりではないと思います。

日本人の自我確立とは

日本人の自我は西洋とは違い、無意識との接続が強いです。強いからこそ、感性的な部分で素晴らしい日本の文化が誕生したと言えるのですが、個々の自立という視点で捉えたとき、まだまだ日本人は集合的無意識から自立できていないとも言えます。

でも、西洋みたいに集合的無意識から個々人が切り離されなければいけないということではなく、きっと無意識とのつながりを保ちながら自我を確立していくという、日本人流の自我確立法があると思います。私が展開しているコスモ・ライフォロジーはそういう思想だと思っています。

まとめ

以上のことを踏まえると、私たち日本人はスピリチュアルの情報においても西洋の内容をそのまま自分に適用してしまう傾向があります。しかし、西洋は自我意識が強く、無意識との接続が弱いのです。それとは逆に、私たち日本人は無意識との接続が強くて、自我意識がまだまだ弱いのです。

ワンネスと言って、全体性に回帰するといったような考え方がありますが、それは西洋の視点であって、私たち日本人はどうやって全体性から自立するかが課題です。だから、私たち日本人はまだまだ無意識で行動してしまっていることや場に支配されていること、そして無意識のことを深く知っていく必要があると考えます。

西洋ほど強い父権的意識は必要ないのですが、日本人の意識に適度に父権的意識を育てていかないといけないと考えます。これは父性原理の「切断する」という機能が必要だということです。

普段の自分の行動に自覚的になって、どういったときに場に支配されているのか、自分自身を観察してみるといろいろ見えてくることがあると思うので、ぜひやってみてください。

というわけで、今日はそんな日本人の意識についてのお話でした。このお話が、みなさんの気づきの一つになったら嬉しいです。

natan
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それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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