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【ろじろじラジオ】第44回放送☆ユング心理学のタイプ論~外向型と内向型について~

No44:外向型と内向型アイキャッチ ユング心理学
natan
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私の宇宙からこんにちは、natanです。

このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第44回放送時のトーク内容全文をご紹介します。

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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

自我の確立について

植物

さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

さて、昨年よりユング心理学を参考にして、私たち人類の集合的無意識の特徴やその働き、そして、私たちが目指していく進化の姿は個性化である、ということをお話してきました。

個性化というのは、ヌーソロジーでいう「霊的個体化」と似た概念だと私は考えています。しかし、この目標はだいぶ先の話であって、私たちはその状態を目指す前に、まずは自我の確立というものを達成しなければいけないと考えます。

自我の確立について、私なりにお話すると、子どもは親や周囲の人、社会からいろんなものを吸収して、意識を成長させていきますよね。吸収できる情報量が増えれば、社会に適応しやすくなります。そして、年齢を重ねたことで私たちは大人になったと考えてしまいがちですが、じつは、その状態はただ外界からたくさんの情報を吸収しただけ、そしてただ外界に適応しただけなので、それは世界を複写したコピー人間が出来上がっただけだと私は思っています。

そんな中、人は人生のとある瞬間に、急に仕事や人間関係が行き詰まるなどして、順調に進んでいたはずの人生に、突然、高く分厚い壁が出現し、そこで挫折というものを経験することがあります。なぜそうなるかというと、そのとき理想の自分と現実の自分との間に大きなズレが生じてしまっているので、空高く舞い上がっていこうとする理想の自分を、本当の自分が大地に引き戻そうとしているからなんですね。

たいへん苦しい状況ではありますが、しかし、このとき人は初めて「自分は本当はどう生きていきたいのか」「本当の自分はどんな存在なのか」を真剣に考えるようになります。そのときに、これまでたくさん吸収してきた情報や作り上げてきた人間関係を見直し、その中から不要なものを捨て、そして自分にとって大事な知識、大事な体験、大事な人間関係だけを残します。

その残したものが、意識界における大地の養分になります。それを摂取しながら、真摯にじっくり自分と向き合い続けることによって、そこから本当の自分の芽が発芽してきます。そのとき人は、ようやく、人生の再出発をきることができます。これがコピー人間を脱した本当の自分の姿であり、これが自我確立というものの私なりのイメージです。

私たちは一人ひとり、自分の力でこの自我確立を達成していかなければいけないわけですが、なにも、すべての人が人生の挫折を経験する必要はないと思っています。誰でも、とある瞬間に、何となく、理想と現実の不一致を感じているはずです。そのときに、それを見過ごすのではなく、こまめに意識化し、自己分析を進めながら、実際の行動を変えていくことで、ゆっくりと自我確立を目指すことはできるのではないだろうかと考えます。

自己分析におすすめ☆ユングのタイプ論

ユング
カール・グスタフ・ユング

そんな自己分析ですが、「何をベースに進めていけばいいの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。ここで私がオススメしたいのが、ユング心理学でおなじみの「タイプ論」と呼ばれるものです。

人にはそれぞれ気質というものがあり、その気質がベースとなって、その人の人格が決まります。自分の気質を知ることによって、自分が得意なものだけでなく、自分が苦手なもの、成長させていかなければいけないものも見えてきます。このタイプ論を自己分析のツールに使っていくことで、理想の自分と現実の自分がどのように不一致なのかを知ることができるので、自我確立への対策がしやすくなると思います。

というわけで、今回からシリーズで、ユング心理学のタイプ論についてお話していきたいと思います。

このタイプ論なんですが、ユング心理学ではおなじみのもので、今現在は幅広く知られているものになっているので、私もこのテーマを取り上げようと思ったとき、簡単にまとめて話せるだろうと安易な気持ちでいました。

ところがどっこい、今広がっているタイプ論は、ユングが本来言っていることとだいぶズレがある、と思ったんです。本来のタイプ論が、かなり着色され、平易な内容に変えられてしまっている印象でした。

だから「これはアカン!」ということで、ユング、そしてユング派のフォン・フランツとジェイムズ・ヒルマンの考察をベースに、一から自分なりに考察をしました。また、私はヌーソロジーの視点からユング心理学を整理したいとも思っていたので、ヌーソロジー的にも考察していきました。

M-L・フォン・フランツ
M-L・フォン・フランツ
ジェイムズ・ヒルマン
ジェイムズ・ヒルマン
natan
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だから、考察し終えるまでにだいぶ時間がかかってしまい、Youtubeもお休みすることとなってしまいました。いやはや…、たいへんでした(笑)

では、前置きが長くなってしまいましたが、早速本題に入っていきますね。

気質の大枠「外向型」と「内向型」

矢印

人間の気質は、大きく分けて2つに区別されます。それが「外向型」と「内向型」と呼ばれるものです。みなさんも一度はこの言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか?この区別によって、その人の気質の大枠が決定します。

さらに、気質は四つの機能で構成されています。まず、四つの機能も大きく分けて、非合理機能と合理機能に分かれます。非合理機能に属するものは感覚と直観、合理機能は思考と気持(F)です。

この四つの機能については、次回以降お話しますので、今回は気質の大枠である「外向型」と「内向型」についてお話をしていきますね。

まずは、外向型からお話します。

外向型について

外向型の生物学的先駆的要因

ねずみ

人間が外向性を身につけるに至った先駆的要因というものがあります。それは、生物学における生物それぞれの生き方の違いから知ることができます。

生物の中には、自分を守る力が弱く、寿命が短いため、子どもを多く産むことで生き抜くことを可能にしている、そういう種類の生物がいます。これが人間レベルにまで進化したとき、外向型という気質に変わります。

ですから、外向型を考える上でキーポイントになることは、短い、早い、動く、多産、消費するエネルギー量が多いということです。

外向型を考える上でのキーポイント
  • 短い
  • 早い
  • 多産
  • 消費するエネルギー量が多い

外向型の人の例を挙げてみると、優れた研究者として、早くから著作活動を始め、たちまち有名になり、多くの人々と関わりつつ、学生を育てる、そういった方が外向型になるので、たとえば、落合陽一さんはまさにこのタイプだと思います。

外向型の姿勢

次に、外向型にはそれぞれ意識的な姿勢と無意識的な姿勢の二つがあるので、順にお話していきます。

意識的な姿勢

まず、外向型の意識的な姿勢としては、

外向型の意識的な姿勢
  • 外界の事実(客観的状況)を基準にして態度や行動を決めている
  • 現実主義
  • 自我側に重心が向いている

こういった外向的な姿勢から生まれる人格の特徴として、

外向的な姿勢から生まれる人格の特徴
  • オープン
  • 社交的
  • 明るい
  • フレンドリー
  • 人懐っこい
  • 時にはケンカもする

基本、外向型は周囲に適応するように意識が働くので、他者との争いは極力避けるようです。でも、ときには、面と向かってケンカをすることもあり、ケンカをした後にその相手と仲良くなる、という特徴もあるようです。

続いて、適度な外向性を身につけている場合の姿勢の特徴はというと…

適度な外向性を身につけている場合の特徴
  • 外界に対して適切な行動がとれる
  • 周囲が期待していることに応えられる
  • 外界に希望や期待をもっている
  • 客体から学びを得ながら、自分をどんどん変えていける

このようなメリットがあります。

逆に、過度な外向性を身につけているとどうなってしまうかというと、過度な外向性は客体の影響を受けやすいため…

過度な外向性を身につけている場合の特徴
  • 人を真似てしまう
  • その人の個性がなくなってしまう
  • 客体と同化することで自分を見失ってしまう

客体の影響を受けやすいということは、主観性がおろそかになっているということでもあります。そのため…

主観性がおろそかになるために起こること
  • 心身の健康を害しやすい
  • 外界に対する反応が激しいため、人生の比較的早い段階で燃え尽きる(仕事から早期リタイアするファイヤーもまさにこの可能性あり)
  • 後知恵が働きやすい(自分の考えが無いので、相手にそう思った理由を聞いても、具体性に欠ける返答をする)
  • 誇張が多い

主観性がおろそかなのに、主観性が強く感じるというのは、相反する、アンビバレントな態度に感じますね。その理由については、無意識的な姿勢が関係しているので、次にそのお話をしていきます。

無意識的な姿勢

綱引き

外向型の人の無意識的姿勢の特徴ですが、まず、自我意識と無意識の間には補償作用なるものが働いています。それは、自我意識が外向的になり過ぎているとき、無意識はそれを引き戻すことで、バランスを取り戻そうとする作用のことです。無意識的姿勢というのは、そのとき現れる内向的な心の働きのことです。

自我意識が外向的過ぎるとき、無意識はつねに抑圧を受け続けています。本当の自分が持っている感謝、希望、衝動、欲求、気持ちなどが外界に向かいたいとする自我意識によって排除されると、その度合いによって、無意識は退行的な特徴をもつようになります。外向的な意識を徹底すればするほど、無意識の姿勢は幼児化し太古的になるからです。そのため、主観性や自己中心性、個人的偏見が強化されてしまうんですね。これが自己主張が強くなる原因です。

また、外向的な意識は心の働きから奪えるだけのエネルギーを奪って、外界で消費し、奪えないものだけを心に残します。その残ったエネルギーは、まさに、根源的な本能と呼ぶべきものです。だから、過度な外向的意識は、時に幼児性をはるかにこえて、きわめて悪質で残忍なエゴイズムをもつようになることもあるそうです。

無意識による補償作用にはどういったものがあるのか、その一例をご紹介します。

無意識の補償作用の例
  • 反対の出来事が起こる(事業の失敗、昇進への道が閉ざされるなど)
  • 身体的障害の発症(病気、才能や能力の封印など)
  • 神経症や精神疾患の発症(ノイローゼ、アルコール中毒、麻薬に手を出すなど)

もし、外向型の人が完全に客体と同化してしまった場合、抑圧された主観の要素や太古の時代から深層意識の中で積み上げられてきた記憶(元型)が反乱を起こすそうです。無意識の反乱ですね。

すると、自我意識はますます無意識を抑え込もうとするので、自我意識が極端に誇張されてしまうことになります。すると、バランスをとって正すはずの心の補償作用が止まってしまいます。そのとき、主体の完全な崩壊が起こるそうです。最悪の場合は自殺、他殺ですね。だから、外向性は適度でなくてはいけない、ということがご理解いただけるかと思います。

内向型について

内向型の生物学的先駆的要因

ぞう

続いては、内向型についてのお話です。

内向型にも生物学の先駆的要因があります。生物において、子どもは多く産まないけれど、自己保存のさまざまな手段を身につけている、そんな種類の生物が内向型のベースになっています。

内向型のキーポイントは、長い、遅い、静か、多食、消費するエネルギー量が少ないということがあげられます。

内向型を考える上でのキーポイント
  • 長い
  • 遅い
  • 静か
  • 多食
  • 消費するエネルギー量が少ない

人間の場合、内向型の研究者を例にあげると、もっぱら研究に没頭し、外にエネルギーを消費することが少ない人です。ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授はこのタイプだと思われます。

内向型の姿勢

意識的な姿勢

では続いて、外向型同様、内向型も意識的姿勢と無意識的姿勢の二つがあるので解説していきます。意識的姿勢の特徴は…

内向型の意識的な姿勢
  • 主体的事実によって態度や行動を決める
  • 豊かな無意識の世界を拠り所にしている
  • 客観的世界は内側にある(無意識の世界のこと)
  • 理想主義の傾向がある
  • 無意識側に重心が向いている(その先には心の全体性である自己(セルフ)がいるが、そこは本人に意識されていないことが多い)

次に、内向型から生まれる人格の特徴は…

内向型から生まれる人格の特徴
  • 閉鎖的
  • おとなしい
  • 内省的

ここで注意なんですが、黙々と勉強している人は内向的に見えるかもしれませんが、その勉強の目的が、自分を守るためなのか、それとも新たに自分を見出そうとしているものなのかを考えた場合、学問的知識の鎧によって自分を守ろうとしていたら、それは外向的ではないかなと私は考えています。

外向型の生物学的先駆的要因にあった、自分を守る力が弱く、寿命が短いため、子どもを多く産むことで生き抜くことを可能にしているという点に該当すると思うからです。だから、本当の内向型の人を見つけることは、じつはすごく難しいことなんじゃないかなと思っています。ぱっと見ではなかなか判断できないと思います。

続いて、この内向的な意識が適度な場合の状況についてです。

適度な内向性を身につけている場合の特徴
  • 創造的活動によって新しいものを生み出す(芸術家やアーティストは内向型が多い)
  • 自分にとって適切な行動がとれる(客体に振り回されないから)
  • 自分らしさを見いだせる
  • 他者の異なった価値観を受容できる

そして、過度に意識が内向的過ぎてしまっている場合、内向型は主観性が強いので、客観性がおろそかになっています。そのため…

過度な内向性を身につけている場合の特徴
  • 外的な問題を起こしやすい(金銭問題、世間のひんしゅく、泥沼、依存関係にもはまりやすい)
  • 現実から遊離したり奇妙な行動をとったりする
  • 権威によく従うようになる

無意識的な姿勢

次に、無意識の補償作用についてですが、内向型も外向型同様、意識と無意識の間に補償作用が働いています。

内向型は無意識側に重心が向いているとさっきお話しましたが、正確には、心の全体性である自己(セルフ)という存在がいるのですが、このセルフが内向型の人の心の中心に位置していて、そのセルフの活動におおかた沿った形でその人は行動しているようです。そのために、内向型の無意識は、何よりも、客体(対象、事物、他者)を大切にする特徴があります。

すごく不思議な話に聞こえるかもしれませんが、セルフという存在は集合的無意識でもあり、その集合的無意識は世界でもあります。だから、客体つまり世界というのは、セルフにとっては同一のものなんですね。

natan
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こういった話は、私たち人間が見ている世界観とは違って、心の世界は反転している世界なので理解するのが難しいかもしれませんが、幾何学で表現すると、円の中心でもあり円周でもある、そんな存在がセルフです。

だから、内向型の人が客体を押しのけて、権力妄想や優越妄想を持った場合、徹底的にそれを破壊する形で、無意識は客体とのバランスを正そうとします。

内向型にとっての現実は、外の世界ではなく、自分の内側の世界のことなので、本来、内向型の人にとって客体は過小評価されています。過小評価されているんですけれども、無意識の補償作用が働いたとき、客体は不安をかき立てるような大きな広がりをもってその人を襲うようになります。

襲うといっても、実際的な動きではなく、妄想に近いものですね。客体が自分を襲ってくるかのような怖い妄想、強迫的な観念を抱くようになる、というイメージです。

恐怖

なぜそのような妄想を抱くようになるのかというと、外向型と同様に、内向型の無意識も自我意識との距離が開けば開くほど、幼児的かつ太古的な特徴をおびるようになって、客体があたかも呪術的な力を備えているかのように見えてくるからだそうです。そして、それは未知の危険を秘めたものとして感じられて、恐怖や不信感を抱くそうです。

たしかに、私も内向型なのでこの話はなんとなく理解できます。ありえない妄想を真実に近い形で捉えてしまい、永遠とそのことについて考えてしまって、結果的に、その世界に飲み込まれてしまうんですよね。他者からすれば、そんなことは実現するはずがないのに、内向型の私にとっては、本当にそうであるかのように感じられてしまうんです。

内向型の人の凹み方には、ものすごいものがあります。強迫的観念は呪いや洗脳にかかったようなものとして体験するので、本当に怖く感じます。

natan
natan

「この部屋、幽霊出るんだよ!」と嘘の情報を吹き込まれて、本気で信じて「わー!」となっている状態に似ているかもしれません(笑)

なるほど、ユングが言うように、これは太古的な特徴をもつ、自分の無意識がそうさせているかもしれませんね。

日本人はおおむね内向型だそうです。だから、日本人が幽霊や祟りを信じやすいのも、内向型特有の無意識の働きがあるからなのかもしれません。ちなみに、アメリカ人は外向型だそうなので、幽霊などは信じず、それに怯える日本人を笑います。でもそのかわり、悪魔の存在は信じているようです。

お話戻りまして、そのように内向型の無意識が補償作用を働かせた場合、その人は客体から離れるために、外的世界から隔絶するようになるそうです。引きこもってしまうわけですよね。そして、不毛な防衛策を講じて、神経をすり減らすようになるとのこと。

無意識による補償作用の例は、外向型とほぼ同じだと思います。

無意識の補償作用の例
  • 反対の出来事が起こる
  • 病気、精神疾患の発症

主体の完全な崩壊が起こると、これも同じく、自殺や他殺に向かってしまうことが考えられます。2008年に起こった秋葉原通り魔事件や、その他、電車内での無差別殺傷事件などを起こす人たちは、内向型が多いように思います。

以上、ここまでが内向型のお話でした。先程、日本人は内向型だという話をしましたが、そんな内向型の日本人が西洋に追いつけ追い越せで、今現在はかなり外向型に向いているそうです。本来の気質を大きく変えてしまっている現状において、現代の日本人が生きづらさを感じるのは当然のことなのかもしれません。

まとめ

では、最後に私なりの考察で締めたいと思います。

ユングは「外向型」「内向型」と表現して型にはめる印象がありますが、それはユングが対象にしていた人たちが患者さんだったから、という理由があげられると思います。私としては、一般の人は外向型と内向型をそれぞれ独自の割合で両方とも持っていると考えています。ユングも「外向型、内向型がはっきり分かれている人がいるのは精神病院だけである」と言っています。

ここ最近は「内向型は素晴らしい」「内向型が世界を変える」などと称賛されているようですが、私はそんなことはないと思っているんですね。内向性しか持っていないと、外界に適応できないですし、内向性には外向性のサポートが必要だと思うからです。両方の気質をバランスよくもつことが大切なはずです。そもそも人間は型にはまるものではなく、流動性がある存在だと思います。だから私は、「外向性」「内向性」と表現したいなと考えています。

でも、説明の便宜上、どうしても「外向型」「内向型」と表現しなければいけない場合があるので、その点はご理解いただけると嬉しいです。

内向型を称賛する理由は、真の客観的世界は私たちの内側にあるからですが、内向型しかその世界を見い出せないというのは性急な考えだと思います。なぜなら、これから人類が見出していく世界は、意識界でも無意識界でもない、その中間にある新しい世界だと思うからです。その中間的新世界へ向かうとき、内向性が先手となるだけで、外向性は不要というわけではなく、しっかりと内向性をサポートする形でこれからも活動していくと考えます。

ですが、現時点では、自分の重心が内向性に向いている人であっても、それは自己保存の特徴が強く出やすいので、外的世界に対して守りの構えを持ってしまっている、つまり、受動的な姿勢になっていると考えます。また、外向性も同じく、外的世界を変えていく姿勢が攻めの姿勢になっていて、その姿勢から自分自身の弱点を隠すという守りの姿勢がうかがえるので、これも受動的な姿勢だと考えます。

ですから、これからは無意識からくるさまざまな創造のエネルギーをしっかり捉えて、それを外的世界で表現して、そこで形作っていくこと。つまり、内向性を先手にして外向性との連携プレーで世界を変えていくこと。これによって出現してくるのが新しい世界だと私は考えます。

スピリチュアル界隈だけでなく、心理学の分野でも、人は無意識を過大評価しがちです。しかし、ユングは「無意識を過大評価するのは危険である」と言います。なぜなら、自我意識の意義は無意識の意義と同等であり、無意識を評価できるのは、自我意識の態度が不十分で、欠陥を抱えている場合だけだからです。そして、自我意識の態度が満足のいくものであれば、無意識はそれをサポートする形で働きます。ここで見えてくる自我意識と無意識の最適な関係性は、お互いをサポートし合うという姿ですね。

ですから、私たちはけっして無意識側へ戻ることが求められているのではなく、無意識の重要性をしっかり認識して、そこからの豊かな恵みを享受して、それを外的世界に適切に反映させていくこと。内界と外界をうまく編み上げていくこと、これが私たち一人ひとりに課せられたミッションだと考えます。

というわけで、結論として、外向型と内向型の二択だけで人は分けられない、外向性と内向性はともに大事だというのが私の考えです。

では、なぜこのような分け方があるのかというと、お話の冒頭でも触れたように、気質の中には四つの機能があり、その機能が外向性と内向性それぞれに触れたとき、異なった特徴が表れるからです。そのため、「型」ではなく、意識の方向性の違いとして、外向性と内向性を捉え、それらは四つの機能の表と裏の姿を示すときに用いるもの、たとえるならば、一種の左右に振れるメーターのようなものとして考えるといいかなと思いました。

そして、私たちが注目していくべきことは、四つの機能の外向性と内向性のそれぞれの特徴の違いを知って、自分は外向性に振れやすいのか、それとも内向性に振れやすいのかを知っていくことだと考えます。これがわかると、自己分析もしやすくなります。

というわけで、今日は気質の大枠である外向型と内向型のお話でした。次回は、四つの機能についての基本概要をお話したいと思います。

natan
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それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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