私の宇宙からこんにちは、natanです。
このページでは、私が運営しているYoutube「ろじろじラジオチャンネル」第59回放送時のトーク内容全文をご紹介します。
本日のトーク内容
心には空間がある
さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
今日は新しい空間性についてお話をしてみたいと思います。
突然ですが、みなさんは「心には空間がある」ということをご存知でしょうか?「心の空間」と聞いてすぐ思いつくのは、自分の本音や感情、そして記憶が保管されているところ、というイメージだと思います。それは他者が知ることのできない、自分だけのプライベート空間のことですね。
ですが、その空間は「自分の本音や感情がある」と意識化できているので、それは行動を起こす前の準備の場としての主観的空間。スポーツで言えば、走り幅跳びをする際の助走するためのスペースといった感じだと思います。今日のテーマである心の空間は、それとはまったく別のものになります。
知覚について
心の空間についてお話をする前に、私たちが知覚しているものはどこからくるのか、ということを知ってからの方が心の空間への理解が深まるので、まずは知覚するということについてお話したいと思います。
私たちは普段、自分が知覚したものは自分が意識的に捉えたものだと考えています。しかし本当は、自分が意識していないところで、無意識がいろんなものをキャッチして、それを意識に上げているんですね。
私たちは「見る」という行為だけで物を知覚しているのではなく、触覚や嗅覚、聴覚など、あらゆる知覚器官を総動員して機能させた結果、最後に「見る→知覚した」という認識に至っていると考えます。だから本当は、私たちの世界認識はほとんど無意識が担っているのだと思います。
ということは言い換えると、私たち自我意識側は受動的に動いている、無意識によって生かされていると言えると思います。
でも、自我にはそのような認識は一切ありません。何か物を触ったときの感触から感じられることや、何かの匂いを嗅いだときに感じられること、何かを見たときに湧いてくる思考や感情、そのすべては自我自身が持っているもので、自我の記憶をベースにしているから感じることができるのだと考えています。
もちろんそれは間違いではなく、自分の記憶がベースになって湧いてくる思考や感情はあります。ですが、それは意外とごく一部でしかなくて、そのほとんどは自分を超えたもの、自分の親、祖父母、曽祖父母、一族全体、そして日本国民全体、さらには人類全体。そしてそれで終わりではなく、その先には動植物、鉱物といったように、つまりは個人的無意識を超えた普遍的無意識(集合的無意識)がベースになって湧いてきているものがほとんどだと私は思います。
ですから、それは言い換えると、世界そのものが自我の知覚を担っている、世界そのものが自我を成り立たせているとも言えるんですね。世界が自分を生かしているんです。世界と自分は表裏一体なのです。
でも、やはり自我にはその自覚はありません。この話を聞いて「そうなんだ」と頭で理解しても、次の瞬間に何かの出来事で怒りの感情や思考が湧き出たら、人はすぐそれらと一体化してしまって、「私は今怒っているんだ!」となる。これでは「世界と自分は表裏一体」ということを本当に理解したとは言えません。
これまでの放送で、四位一体構造についてお話してきましたが、私たちの意識は今現在三位一体構造を持っていて、これを四位一体に変えていくことで、意識が成長できるよ、世界に対する多面的な見方や新しい見方を手に入れることができるよとお話してきました。
意識を四位一体構造にするためには、四番目との出会いが必要で、それは無意識であり女性原理との出会いです。それらと出会い、自我意識が上手にそれらと関係性を築けたその暁には、人間の意識は今とはまったく違った意識形態に進化できると考えます。
今私は「四位一体構造の4との出会いを通して無意識と関係性を築いていく」と言いましたが、この関係性を築いていく際に必要になるのが、今日のテーマである「心の空間」なんですね。
心の空間はヴェシカパイシス
ヴェシカパイシスについて
心の空間とは、この文脈で言えば、無意識と自我意識の交流の場ということになるかと思います。それをヌーソロジーの円心構造で見ていきましょう。
二つの円があって、それぞれの円周がお互いの円の中心に重なるように配置された幾何学が円心です。二つの円が重なり合った部分にヴェシカパイシスという形が形成されます。二つの円それぞれを無意識と自我意識だと思ってみてください。その無意識と自我意識が互いに重なりあう部分、ヴェシカパイシスの部分が無意識と自我意識の交流の場になるというイメージです。
円心で表すと、無意識と自我意識はそのような交流の場としての空間性をすでに持っていると思ってしまうのですが、じつは今現在の私たちの意識状態では、その空間性は無いに等しい状態だと私は感じています。
たとえるならば、そのヴェシカパイシスの部分がぺちゃんこに潰れているような感じです。空気を入れる前のぺちゃんこの風船のような状態ですね。
現状、無意識と自我意識の交流の場としての心の空間はそのような状態なので、先ほどお話ししたように、集合的無意識から上がってきたものが、自我に考える余地を与えるより前に、ダイレクトに直球で自我に降り掛かってきてしまうのです。それは憑依現象として感じられるので、憑依された自我としては「私はこう感じている!これは私の感情だ!」となるのは当然のことですよね。
ですが、このぺちゃんこな心の空間を広げられると、無意識の憑依に気づけるようになります。無意識を知っていくためにも、無意識と折り合いをつけて良好な関係性を築いていくためにも、私たちは今後その空間を広げていく必要があると私は考えています。
外的世界の存在意義
スピリチュアルの世界ではよく「外の世界は幻想だ」と言われることがあります。ですが、私はそうは思っていません。なぜ私たちは外側に世界を見ているのかというと、そのように世界を見なければいけない確固たる理由があるからだと思っています。
それは私たちが外側の世界を対象化し、そして知覚できているように、今度は内的な世界もそれと同じく対象化して知覚していく必要があるということ。
人類は宇宙的な母から生まれ出て、ある一定期間、その母とともに無意識の世界を生きてきました。それは時代で言えば、古代文明を生きた人類の意識状態に該当すると考えます。
そして心理学者ジュリアン・ジェインズによると、私たち人類の意識はたった約3000年前に芽生えたばかりだと話します。さらに直近約2000年間は、今度は自我意識を育てる時代として人類は意識成長に励んできたという歴史があります。
混沌とした世界に一筋の光が生まれ、そして世界は天と地に分かれた。宇宙創生神話は宇宙の成り立ちをそのように語りますが、深層心理学的に言えばそれは、人類が初めて意識によって世界を認識した起源について語ったものになります。
母の腕の中で安らいでいた乳児が幼児に成長する頃、外にあるいろんなものに興味を持って、「あれは何?これは何?」と世界に関心を寄せ、そして世界を知っていくように、人類も数千年をかけてこの外的世界そして宇宙を認識してきました。
四位一体の意識は、対象をありのままに認識することでもあります。しかし、現在の三位一体の意識はどうしても精神的なものに憧れを抱いたり、理想を持つことこそが素晴らしいと思ってしまうところがあります。それは決して悪いことではありませんが、しかしそれが現実を見る目を曇らせてしまって「現実としてこうなっている」ということを「いいや、それはやり方が間違ったからそうなったんだ」とありのままを否定してしまうことも事実としてあります。
「外側の世界は幻想だ」という解釈もその一つだと考えます。内的世界そして精神世界こそが現実であり、外は現実じゃないと考えているからです。
でも私は言いたい。「いいえ、外側の世界も現実です」と。三位一体構造の意識で捉えている世界なので、今私たちが見ている世界の見え方は幻想、というか間違っている部分はあると思います。ですが、外側に世界が存在していること、それ自体は事実であり否定できません。
対象化能力を内的世界に適応せよ!
「では、なぜ私たちは外側に世界を見ているのだろう?」と私は考えました。そして出た答え、それは、外側の世界で培った対象化するという能力を、今度は私たちの心である内的世界に適応させるためだと。
物を対象化するためには距離が必要です。眼球に物がくっついていたら、知覚どころか、目の前は真っ暗で何も見えません。じつは、今の私たちの心の空間もそうなんですね。すべてがくっついて膠着状態なんです。だから、心の空間を私たちは内的に知覚することができないんです。その空間を捉えようとしても真っ暗で何も見えない、何もわからないわけです。
そういった状態だからこそ、先ほどお話したように、無意識領域から上がってきたものがすぐ自我に憑依してしまうんですね。無意識がベターっと自我に張り付いてくるわけです。だから、その影響を克服するために心に距離を生むこと、心の空間を広げることが必要になってくるわけです。
物理的距離によって物を認識できているように、心の距離があると無意識も対象化できるようになってきます。すると、自我としての自分が「ちょっと待って無意識さん、今私に憑依させようとしたものは何?これは一体どこからやってきたの?」と無意識からの影響を客観視できるようになるんですね。
このような空間が無意識と自我意識の交流の場であり、ここで自我意識は無意識を理解していくという新たなステップに進むことができるようになります。この場所を私は「心の空間」と表現したんですね。
だから「外側の世界は幻想だ」と言って片付けてしまうのではなく、無意識を対象化するため、その技術習得の場として外側の世界があるのだと思ってみてください。「外側の世界からあらゆることを学び、それを内的世界に適応せよ!」それが自我である私たちに与えられたミッションの一つだと私は考えています。
自然科学を筆頭に、人類がさまざまに生み出してきた学問は、世界を対象化し理解するための客観的思考力を育むために、とても重要な役割を担っていると私は思います。今度はその能力を内的世界に適応していく時代が来たのだと思います。
たぶん、古代人は外側の世界を現代人のようには認識できていなかったと思います。私たち現代人が内的世界を知覚できず、無意識が憑依してくるのと同じく、古代人たちにも外側の世界のすべてが自分たちに膠着し、憑依してくる感じだったのだと思います。だから、そこに恐ろしい神々の力を感じたのかもしれません。八百万の神々として自然を信仰していた古代人の気持ちがなんとなく理解できるような気がします。
心の空間の広げ方
このように、今後私たちは無意識と自我意識の間に内的な距離を取れるようになることが大切だと私は考えています。その内的な距離が取れるようになると、今度はそこに一つの新しい世界が観えてくると思います。
無意識と自我意識がその空間内でどんどん交流を深めていくと、そこが徐々に立体化してくると思います。私たちが外側の世界を立体的に捉えているように、心の空間も立体化、というか多面体化してきます。そこに新しい世界が見えてきます。
その空間を獲得できるようになる頃には、意識は三位一体から四位一体へ変わっているはずです。そして、目の前の世界の捉え方さえもグルン!と大反転していることでしょう。
でも、それは言うは易く行うは難しです。その空間は一気に開くことはできません。なぜなら、それは硬いゴム風船に根気強く息を吹き込んで膨らませていくようなものだからです。
最初は「ちょっと開いた!やった!」と思っても、すぐぺしゃんと潰れてしまうように、その空間は両側の壁が強固にくっつきあっています。ですから、少しずつゆっくりと、そして強い意志を持ち続けながら、その空間を広げていく地道な努力が必要になります。
この心の空間を広げていく方法ですが、私はそれは二段階で達成していくものと考えています。
第一段階は、自己内省を通して自分の本音や自分の弱さと向き合い、そこから自我の確立を達成することです。この段階で、少しずつ自分の無意識を対象化できるようになってきます。
第二段階は、人間関係を通して、他者をありのままに捉え、尊重し、他者との心の距離を適度に取りながら関係性を築いていくこと。心の距離は、言い換えるとそれは、他者を尊重する気持ちだったり、謙虚さのことだったりもします。
そして、出会う人が多くなるごとに「一人ひとり見ている世界が違うのだ」ということを知るようになって、ようやく世界を見る多面的な視点と心の空間の多面性も獲得できるようになると考えます。
私は自分の心の空間を開いていく際、その第一段階として自分の内側を見ていったときに気づいたことがありました。
「混沌とした世界に一筋の光が生まれ、そして世界は天と地に分かれた」という宇宙創生神話の最初の一節が、今まさに私の中で再現されていると。「そうか、神話は自分の中でもう一度繰り返すんだ。今度は自分の中に宇宙を見出すんだ、世界を見出すんだ!」ということに気づきました。
これはものすごく感動的な発見でした。しかもそれは、ユング心理学に出会う前の出来事だったので、ユング心理学を通して神話に触れたとき、「やっぱりそうだったんだー!」と感激したのを覚えています。
私たちの心の中は、創世神話にあるように、未だ混沌とした世界です。そこに自我の内的方向の意識が光となって差し込まれたとき、その世界は天と地に分かれます。心の空間が広がり、私たちはそこに新しい世界を発見することになります。
そう考えてみると、私たち一人ひとりは自分の心の世界の創造主なのかもしれませんね。少しずつその世界を広げていきましょう。
というわけで、今日は心の空間についてのお話でした。今日のお話が、みなさんの気づきの一つになったら嬉しいです。
それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!