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古事記☆新解釈【11】カグツチ被殺②~たたらを踏む女性たちとカグツチとの深い繋がり~

古事記☆新解釈「カグツチ被殺②」アイキャッチ 新解釈『古事記』
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本日のトーク内容

以下の内容は、放送内容を加筆修正しています。

皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。

前回は、カグツチが殺されるシーンを自然現象で考えた場合、山や大地の噴火として見ることができるというお話をしました。今回は、カグツチが殺されるシーンを、前回とは違う視点で考察してみたいと思います。

原文/読み下し文/現代語訳

古事記「カグツチ被殺①-1」(原文/読み下し文/現代語訳)

於是伊邪那岐命 拔所御佩之十拳劒 斬其子迦具土神之頸
尒著其御刀前之血 走就湯津石村 所成神名 石拆神 次根拆神 次石筒之男神 三柱

ここに伊邪那岐命、はかせる拳劒つかのつるぎを抜きて、その子迦具かぐつちのかみの首を斬りたまひき。しかしてそのかたなさきける血、湯津ゆつ石村いはむらに走り就きて成れる神の名は、石拆いはさくのかみ。次にさくのかみ。次に石筒いはつつのかみ三柱

伊邪那岐命は、腰に帯びている十拳剣を抜いて、その子迦具土神の首を斬った。そのとき、刀の先に付いた血が湯津石村まで流れついたとき成った神の名は、石拆神、次に根拆神、次に石筒の男神である(三柱の神)。

古事記「カグツチ被殺①-2」(原文/読み下し文/現代語訳)

次著御刀本血 亦走就湯津石村 所成神名 甕速日神 次樋速日神 次建御雷之男神 亦名建布都神 亦名豊布都神 三柱
次集御刀之手上血 自手俣漏[久伎]出 所成神名 闇淤加美神 次闇御津羽神
上件自石拆神以下 闇御津羽神以前 并八神者 因御刀 所生之神者也

次にかたなもとける血もまた湯津ゆつ石村いはむらに走り就きて成れる神の名は、甕速みかはやのかみ、次にはやのかみ、次にたけかづちのかみ(またの名をたけふつのかみ、またの名をとよふつのかみ)。三柱
次に御刀のがみに集まれる血、手俣たなまたよりでて成れる神の名は、くらおかみのかみ。次にくら御津羽みつはのかみ
かみくだり石拆いはさくのかみ以下よりしもくら御津羽みつはのかみ以前よりさきあわせてやはしらのかみは、御刀によりてれる神なり。

古事記「カグツチ被殺①-3」(原文/読み下し文/現代語訳)

次に刀の根本に付いた血もまた湯津石村まで流れついたとき成った神の名は、甕速日神、次に樋速日神、次に建御雷の男神(またの名は建布都神、豊布都神)である(三柱の神)。
次に刀を握った手の上に集まった血が、指の間から漏れ出て成った神の名は、闇淤加美神、次に闇御津羽神である。
以上、石拆神から闇御津羽神まで、あわせて八柱の神は、刀に成った神なり。

解説

刀剣製作と神々の対応

前回の話をおさらいすると、カグツチの血はマグマや溶岩を象徴していて、カグツチの血に成った神々は、山や大地の噴火によって生じる自然現象を象徴していることがわかりました。そして、カグツチの血は、鉄や銅をはじめとした豊富なミネラルを含んでいるので、それが噴火によって世界に供給されることで、新しい命の栄養素になること。結論として、このシーンからは、陸と海における新しい命の脈動が感じられるというお話をさせていただきました。

この考察は私独自のもので、どの解説書にもそのような解釈は載っていないと思われます。今回のシーンにおける一般的な解釈は他にあって、それは、このシーンで登場した神々は刀剣制作の過程を象徴しているというもの。

早速、刀剣製作を参考にして、今回出現した神々を整理してみました。こんな感じ。

刀剣製作とカグツチの血になった神々との対応

まず、カグツチの首を斬ったときに飛び散る血が、鉄を鍛えるときに飛び散る火花を象徴していると言われています。鉄を鍛えるとは、熱い鉄を何度も叩くことで不純物を取り除き、鉄に粘りと強度をもたせることを言います。

次に、刀の先についた血に成った神々は切っ先の鋭さを象徴し、刀の根元についた血に成った神々は、刃に掘られた溝や、雷のように刀が素早く振り下ろされる様子などを象徴しているようです。最後に、刀を握った手についた血に成った神々は、刀に刃文を入れるとき、炎の温度を見極めるために作業場全体を暗くすることや、熱した刃を急冷するときの水槽を象徴しているようです。

以上のことを踏まえると、刀剣製作という状況においては、カグツチそれ自体は溶けた鉄を象徴した神だと言えます。前回の解説で、カグツチはマグマや溶岩を象徴しているとお話しましたが、溶けた鉄もそれと似ていますよね。ですから、カグツチには、噴火現象と精錬された溶けた鉄という、二種類の捉え方ができるようです。

また、過去にイザナキとイザナミは、水の神々や土器のような容器を象徴した神々、さらに、地熱エネルギーやお湯を象徴する神々を生みましたが、その神々が今回のシーンにおいては、製鉄や刀剣製作の道具に姿を変えていると読むこともできるなと思いました。

ここで私はふと、「なぜ今回のシーンで、イザナキの怒り、そして噴火現象ということだけでなく、刀剣製作のことも象徴的に語っているのだろう?」と疑問に思ったんです。その件について思考を進めた結果、見えてきたことを今日皆さんにお話してみたいと思います。

鉄について

鉄はすべての土台

鉄の鍛錬

刀といえば鉄。ですから、鉄の情報整理から始めますね。鉄は、私たちの文明を支えてくれる重要な金属です。それだけでなく、じつは地球の1/3も鉄でできていて、さらに、私たちの身体を流れる血にも鉄分が含まれています。

日本における製鉄の歴史は古く、5〜6世紀頃には国内で鉄が製造されていたそうです。しかし、鉄器は青銅器と共に弥生時代からあったそうで、日本においては「弥生時代と鉄器の出現は同時である」と言われています。

鉄のメリットは、硬くて強いこと、伸ばしたり切ったり繋げたり加工がしやすいこと、炭素の量を調節することで硬さを変えられることなどが挙げられます。

たたら製鉄とは

日本古来の製鉄技術は、たたら製鉄と呼ばれています。たたら製鉄というのは、粘土で築いた炉を用い、原料は砂鉄、燃料は木炭、送風にはふいごを使用して、きわめて純度の高い鉄類を生産する日本古来の製鉄技術のことを言います。

まず、鉄の原料となる砂鉄がどのように採集されていたかというと、川の上流が砂鉄地帯であれば、そこを源流とする川の底に砂鉄は堆積するので、それを器具を使って採集していました。時代が下ると、人々は山を切り崩して、それを人工の川に流して砂鉄を取るという方法をとるようになりました。これをかん流しと言います。

ジブリ作品『もののけ姫』では、その鉄穴流しの様子がわかりやすく描かれています。

砂鉄の採集方法~鉄穴流し~

この砂鉄を『古事記』とすり合わせしてみると、神生み第一弾で生まれた大事忍おほことおしのかみ、それは地球内部の内核や外核(鉄やニッケルなど)を象徴する神だと私は考えていて、また、神生み第三弾において、イザナミがもがき苦しむ中、吐瀉物から生まれた金山かなやま毘古びこのかみらが鉱物を含んだ山ということで、これら神々が砂鉄に関係していそうだなと考えています。

鉄の製造方法について

鉄の製造方法~たたら製鉄~

さて、砂鉄が採集できたら、今度は鉄の製造に移ります。採集した鉄を粘土製の炉の中に少しずつ入れていき、木炭を使って高温に熱して、ドロドロに溶かしていきます。

この粘土製の炉も『古事記』とすり合わせしてみると、神生み第二弾で生まれた土器を象徴する神々に見て取ることができます。炉から火が上がっていることも考えると、それは山の噴火にも似ていますよね。

この炉には風を送りこむための管が刺さっていて、そこから絶えず風を送り込むことで、炉の中を高温に保っていきます。その風は、ふいごと呼ばれる送風機で送られ、それには手で送風するものや足踏み式のものなどがあります。そして、この作業は数日間続けられます。

書籍『近世たたら製鉄の歴史』を参考にすると、1750年以前は一回の製鉄作業(これを操業という)に七日七晩かかったそうです。しかし、1800年以降は生産技術が向上し、たたらの操業は三日三晩という短い期間で行われるようになったそうです。この操業開始から終了までを専門用語で「ひと」と数えます。

natan
natan

たたら操業の七日七晩と一代をあわせて、皆さん何か思いつくことはありませんか?

そう、これは『古事記』序盤において誕生した神世七代に似ているんですよね。男女神も二柱を合わせて一代と数えます。不思議なことに、神世七代とたたら製鉄には共通する何かがあるようです。「操業」というのがキーワードなのかもしれません。

さて、お話を戻しますと、数日間炉の中に風を送り込むことで、砂鉄がどんどん溶けて、ホド穴というところから溶けた鉄が流れ出てきます。これが流れ出ることで鉄の製造は終了となります。この生成された鉄は、今度は、鍛冶師の手によってさまざまなものに作り変えられていきます。

以上が、たたら製鉄における鉄の製造過程のご紹介でした。今回のシーンでは刀の話が出てきているので、日本刀の元となるたまはがねの製造という観点からも考察してみたんですが、現時点で『古事記』は、鋼ではなく純粋な鉄について語っていると私は感じたので、鉄それ自体に注目してみた次第です。

たたら製鉄と太陽の船との奇妙な一致

たたら製鉄と血に成った神々との対応

さて、たたら製鉄の炉は箱のような形になっていて、それに送風管がたくさん刺さっているとお話しました。たたら製鉄と今回のシーンで生まれた神々をすり合わせしてみたところ、この炉の姿を、甕速日神、樋速日神らが象徴していそうだなと感じました。甕速日神の甕(カメ)が炉、そして樋速日神の樋(とい)を送風管として見ることができるからです。

また、溶けた砂鉄のことをたたら職人は「鉄湯」と呼ぶそうで、過去にイザナミはお湯に関する神々を生みましたが、そのお湯の性質が変化して、今度は鉄の湯となって登場しているとしてみると、その登場は納得できる展開だなと思いました。

さらに、炉それ自体は熱に強い土器と同じ要素を持っているので、神生み第二弾で誕生した天鳥船をそこに見ることもできるなと思いました。そのような考えに至ったとき、ふと面白いことに気づきました。

たくさんの送風管が刺さっている炉。それを遠目で見てみると、なんと、エジプトの王が乗っているとされる太陽の船に見えるということに気づいたんです。送風管がエジプト神話では船のオールになっている。

たたら製鉄と太陽の船の奇妙な一致
natan
natan

目を細めて見てください、ボヤッと見る感じで(笑)

エジプト神話に出てくる太陽神が乗る船。『古事記』では、天鳥船がそれに該当すると言われていますが、その性質は船というよりは製鉄用の炉です。でも、興味深いことに、手で送風する差し鞴と呼ばれるものを操作するときの動作は、まるで船のオールを漕ぐような動きなんですよね(見えづらくて申し訳ないです)。

ですから、太陽神の船とたたら製鉄の炉は、それぞれ意味は違えど本質は一緒で、太陽は熱いから太陽神が乗る船も熱い、製鉄炉も熱い、つまり炎を収める容器の性質を持っていること。その容器のことを船と呼んでいるということ。そして、そのどちらも風を動力にしているということ。

また、ささあきらさんの書籍『鉄のはなし』には、たたら製鉄では炉の温度管理を太陽の色を参考に調節していたと書かれていました。三日間の操業でいえば、一日目は朝日の色に合うように炎を調節し、二日目は日中の太陽の色、三日目は夕日の色に調節するのだそうです。

遠く離れたエジプトと日本の神話の、表現は違えど奇妙に一致する、なんとも不思議で面白すぎる話!こういうことを発見すると、『古事記』を通して世界遺産を巡る旅をしているような気分になって、テンション上がるんですよね。自宅にいながらの世界旅行!!

ホトの熱傷は出産の証

ということで、興奮する気持ちを少し落ち着けながら鉄に話を戻すと、生成された鉄はホド穴というところから流れ出てくるわけですが、これが『古事記』でいえば、カグツチを生んでイザナミがホトを焼いたということなのだという考えに至りました。

たたら製鉄の復興に長年携わっている鈴木卓夫さんによると、「たたら製鉄は”鉄を作る”というよりも、”鉄が生まれ出る”と表現した方が適切」だと話します。そして、たたらの炉は人間でいえば胎児が育つところだとも話します。

たたら製鉄の動画をYoutubeで見ていると、鈴木さんがおっしゃるように、人間の出産と似ているんですよね。ゴーゴーと炉内に空気が送風される音が、一生懸命いきんで子を産もうとするお母さんの呼吸に聞こえてくるんです。だから、今回の話でいえば、製鉄炉それ自体がイザナミの子宮を象徴したものなのかもしれないなと思いました(下記動画11分20秒あたり~)。

また、たたら製鉄では操業が始まる前に、無事操業できますようにと神様に祈るのですが、面白いことに、そのとき桶に入ったお湯を供えるんですよね。きっとこれは産湯なんでしょうね。鉄の赤ちゃんのための産湯。

人間の出産を考えてみると、女性は子どもを産むとき、少なからずホトに傷を負います。イザナミのホトが焼けたという表現は、女性にとってはゾッとする話ではありますが、それを出産におけるホトの損傷と捉えてみると、それは致し方ないことだと思うし、逆にホトを損傷してでも産もうとするイザナミの母としての力強さを感じるなと私は思うんです。お子さんがいらっしゃる女性のリスナーさんなら、うんうんと深く頷ける話だと思います。

だから、ここまでの考察でわかったことは、今回のシーンは鉄の製造を通して、出産の大変さと苦しさ、そしてイザナミの母としての力強さを描いているのかもしれないということです。あしはらのなかつくにを生み出すレベルの出産なので、それはそれは大変な出産だったことでしょう。

イザナミは自分の死と引き換えにカグツチを生んだ。でも、イザナミにとってカグツチは大事な我が子なので、その出産に悔いはなかったと私は思うんです。ですが、その子を父であるイザナキは斬り殺してしまった。そこから考えるに、イザナミとイザナキはお互い真逆の心理状態にあったのではと私は思いました。

そこからさらに思考作業を進めた結果、今回『古事記』が刀剣製作を用いたことの理由が何となく見えてきました。その件について、ここからは少し視点を変えてお話してみたいと思います。

『もののけ姫』に登場するたたらの女性たち

たたらを踏む女性たちの身の上

話はガラリと変わりますが、たたら製鉄と聞くと、私はある歌を思い出します。

ひとつ ふたつは 赤子もふむが
みっつ よっつは 鬼も泣く泣く
タタラ女は こがねのなさけ
とけて流れりゃ 刃にかわる

タタラ踏む女達

皆さんは、この歌をご存知でしょうか?これは映画『もののけ姫』の中で、たたら場の女性たちがふいごを踏みながら歌っているものです。この歌が、今回のシーンと合致するなと思ったんです。

たたらを踏むことで、鉄が溶けて流れ出て、そして形作られて刃物が出来る。そのことを歌っているわけですが、それだけでなく、この歌詞には別の意味も込められているように感じます。

『もののけ姫』の舞台になっているエボシ御前が治めるたたらのある村、そこが物語の舞台の一つです。その村に住む女性たちは、親に身売りをされた女性たちで、エボシはそういった女性を見つけると、誰であろうと引き取ってくると言われています。

「タタラ女は こがねのなさけ」

「こがね」とは鉄を意味した言葉になります。この歌詞は、身売りされたタタラ女は鉄の情けを受けている、もしくは鉄に救われたと歌っていると思われます。

「とけて流れりゃ 刃にかわる」

たたらを踏んで、溶けて流れる鉄。親に捨てられた悲しい過去。悲しみと苦しみが刃に変わる。そういったことを歌が象徴しているのかなと。悲しみと苦しみが刃に変わるだなんて、なんだか今回のイザナキの心理状態と似ていますよね。

カグツチと水蛭子

さらにこうも思いました。カグツチはイザナキに殺されてしまったということは、それは言い換えると、カグツチは父親に捨てられたとも言えます。たたら場の女性たちのように。そう考えたとき私は、かつてカグツチと同じように捨てられた子がいたということを思い出したんです。それは水蛭子ひるこ

水蛭子はグニャグニャしたヒルのような姿だと言われています。それは溶けた鉄であるカグツチと似ていると思うんです。だから、カグツチには水蛭子の要素が継承されていると私は思ったんです。水蛭子とカグツチは共に捨て子だと。

水蛭子が捨てられた理由は、良くない子、未熟児だったから。カグツチもイザナミを死なせた良くない子として捉えられ、そして溶けた鉄は未だ何者にもなれていないがねなので、カグツチ自身にも未熟さが感じられます。

でも、その子どもをイザナキが斬り殺したということは、心理学的にいえば、イザナキは自分の中にある幼さと未熟さを受け入れられなかったということでもあると私は思うんです。良い子じゃなきゃダメだ、未熟じゃダメだと。

だから結論として、溶けた鉄であるカグツチの正体は、じつはイザナキの甘えや幼さ、そして未熟さを象徴したものでもあると私は考えました。イザナキの精神的な幼さを、心の鏡に映した姿がカグツチだったということ。

鉄は熱いうちに打て!

水蛭子もカグツチも共に捨て子だというのは、何とも悲しい話に聞こえますが、ここで思い出していただきたいのは、『古事記』は物事の一側面を語るのではなく、両面を語るというルールです。今回のシーンも、ネガティブな物語の背後で、ポジティブなことも語っていると私は考えています。

それはどういう内容かというと、溶けた鉄であるカグツチは斬られたわけですが、それは溶けた鉄からさまざまなものを作るために分割されたとも読めます。

溶けた鉄は切り分けられ、その後、強い鉄になるために、熱いうちに何度も叩かれ鍛錬され、そして刀へと変身していきます。叩かれて鍛錬されるというのは、心理学的に見ると、何度も挫折を経験しながらもその度に立ち上がるという、精神力の強さを象徴していると解釈できます。

そう考えてみたとき、『古事記』内でも後世の神々が鍛錬に鍛錬を重ねて強くなっていく様子が描かれているということに気づきました。もしかしたら、そういった神々の力強さには鉄が関係しているのかもしれないと。

つまり、溶けた鉄は甘えや未熟さの象徴であり、鉄の鍛錬そして刀剣製作の過程は、その未熟さを手放し、一人前の大人として成長していく過程を象徴したものだということ。

だから今回のシーンは、我が子を殺すイザナキの非情さを描くだけでなく、溶けた鉄であるカグツチを心の鏡にして、イザナキの行動の背後にある彼自身の甘えや未熟さを『古事記』は描いているということ。そして、その甘えや未熟さは鍛錬によって鍛えられる、ということを刀剣製作に象徴させて語っていると私は考えました。

その鍛錬は、イザナキだけでなく、後世の神々の成長、ひいては人間の精神の成長にも必要なことだということも『古事記』は教えてくれているのだと私は思いました。

だから、鉄は熱いうちに打つ必要があるのだと思います。日本人にとっての刀は、人を殺めるものではなく、精神的なものを象徴していて、それは、鍛錬に鍛錬を重ねた先にある、美しく、そしてしなやかで強い心の姿、それが日本刀に象徴される日本人の精神性なのだと思います。

結論

以上のことから、今日の話をまとめるとこうなります。カグツチ殺害シーンを刀剣製作で考察した結果、たたら製鉄の様子から、イザナミの出産の大変さとイザナミの母としての力強さが読み取れ、溶けた鉄にはイザナキの甘えと未熟さ、そして、刀剣製作には「その未熟さを鍛錬で強くしていくべし」という『古事記』の教えが読み取れるよということです。

今日はたたら製鉄を通して鉄の製造だけに注目しましたが、銅など他の金属を精錬するときも炉と風を用いて高温に溶かし、そしてそれを切ったり伸ばしたりして成形していくので、ここまで話してきてなんですが、今回のシーンは鉄に限らず、すべての金属に関係する話でもあると捉えておく方がいいかなと思います。そうすれば、今後の『古事記』考察をより広い視野で考えていけるので。

最後に

さて、ここからは今日最後のお話として、せっかく『もののけ姫』に触れたので、それに関するお話を少しだけして、今日のお話を終えたいと思います。

たたら製鉄の操業が、昔は七日七晩だったとお話しましたが、その理由は、砂鉄を短期間で溶かすとケラという鉄の固まりができてしまうからです。その鉄の固まりができてしまうと、炉を壊す危険性があり、また、ホド穴も塞がってしまうため、鉄が出てこなくなります。

当時は、ケラを割る技術もなかったため、ケラができてしまうと操業自体を中断せざるを得なくなっていたそうです。そうなってしまうと莫大な損失を生むことになるため、だから、ケラができないように七日七晩じっくり時間をかけて鉄を作っていたそうです。

ですが、1800年代にそのケラを割る技術が開発され、また鉄の価格暴落という時代背景もあって、効率よく鉄を製造するために三日三晩の操業に変えたそうです。さらに、ケラの中に含まれる日本刀の素材である玉鋼も取り出せるようになったことから、ケラをあえて作るという手法が用いられるようになったそうです。

このケラなんですが、ケラは漢字で「鉧」と書きます。「鉄のお母さん」という意味になるわけですが、そこから考えるに、カグツチってじつは女の子なのでは?と私は思ったんです。または、女性原理や女性性を象徴したものと言ったほうが正しいかもしれません。さらに、鉄のお母さんということは、カグツチはイザナミの要素を継承している、つまりイザナミの分身でもあるのかなとも思ったんです。

そして、興味深いことに、『もののけ姫』に出てくる捨て子たちはみな女性で、その女性たちはたたらを踏んで鉄を作っています。主人公のサンも女の子で捨て子です。イザナキに捨てられたカグツチ、そして捨て子の村の女性たちとサン。きっと、宮崎駿監督はわかっていてそういう設定にしたんだろうなと私は直感しました。

natan
natan

いや~、ジブリってホントすごい!

というわけで、今日の解説はここまでとさせていただきます。次回は、十拳劒と建御雷の男神について、一般的に建御雷の男神は刀の神様だと言われていますが、本当に刀の神様か?という疑問があるので、彼の正体に迫ってみたいと思います。

natan
natan

それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!

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