本日のトーク内容
はじめに
皆さんこんにちは、natanです。さあ、始まりました「ろじろじラジオチャンネル」。本日もよろしくお願いします。
前回は、アマテラスが営む田畑をなぜスサノヲは荒らすのか、なぜその行為をアマテラスは咎めなかったのかについてお話をしました。
内容を簡単におさらいすると、アマテラスとスサノヲはそれぞれ文化と自然を象徴する神で、うけいによってスサノヲに邪心がないことが証明されたため、二神の間で紳士協定が結ばれることになりました。
文化の創造、発展には適度な破壊が必要なので、その協定の内容は、スサノヲによって行われる破壊行為は新しい創造のために行われているものとしてアマテラスは受け入れるというもの。だから、スサノヲは大いに暴れ、アマテラスはその行動を咎めなかったのだろう、というお話でした。
自然から文化が生まれるとき、それは支障なく起こったのではなく、「自然と文化の間でいろんな問題や葛藤、対立、そして約束事があったんだよ」ということを古事記は教えてくれているんですね。
さて、今日お話する内容は、スサノヲの破壊行動は凄まじく、彼は田畑の畔を離してしまい、溝も埋めてしまったとのこと。しかし、彼の行動に対してアマテラスは「糞のようなものは、酔って吐き散らそうとして、我が弟はこのようにしたのでしょう。また畔を離して溝を埋めたのは、土地がもったいないと思ったから、我が弟はこのようにしたのでしょう」という、意味不明なことを言いました。
意味不明ではありますが、アマテラスはスサノヲが田畑を良くするために頑張っていると認識しているようです。ということで、今日はスサノヲがどのように田畑を良くしようとしているのかについて、彼が持つ生物学的側面から私なりの考えをお話してみたいと思います。
スサノヲから感じる水の要素
まずは、情報整理から始めましょう。これまでのシーンを振り返ってみると、スサノヲは父イザナキに「海原を治めよ」と命じられましたが、彼は「根の堅州国に行きたい」と言ってその命令を断っています。ですが、うけいやその後の天岩屋戸シーンまでを読んでみると、やはり彼は水の要素を持っている神様であることは間違いないようです。
どういうところから彼に水の要素を感じるかというと、古事記は物語の中で対称性を取る性質があるので、アマテラスとスサノヲが一緒に登場する今回のシーンは、おのずと火と水が相対している場面と考えることができます。
また、男女神はお互いを補完し合う関係でもあるため、アマテラスとスサノヲも互いを補完し合っていて、太陽神アマテラスが火であるならば、海原を治めるはずだったスサノヲは水としてお互いは向き合っていると言えます。
アマテラスから感じる火の要素
アマテラスが持つ火の要素は、具体的にどのシーンで感じ取れるかというと、スサノヲが高天原に上ってくる際、彼女は武装をし、硬い大地に足を太ももまで入れて、土を蹴り散らしてスサノヲの登場を待ったという部分です。彼女が蹴った硬い土は淡雪のように散ったとのことですが、この描写から太陽の熱で干上がっている大地が見て取れるので、これが火の要素になります。
そんな状況下で田畑を営むのは無理なので、水の神スサノヲが動きます。アマテラスが言った「糞のようなものは、酔って吐き散らそうとして、我が弟はこのようにしたのでしょう。また畔を離して溝を埋めたのは、土地がもったいないと思ったから、我が弟はこのようにしたのでしょう」という言葉から推測するに、スサノヲにはある生物学的側面があって、そのことをアマテラスは言っていると思われます。
スサノヲはミミズ説
その生物は何かというと、それはミミズです。ミミズは、土を食べてフンをすることで、ふんわりした土を作り出してくれる土壌生物です。ミミズは畑で活躍しますが、田んぼで活躍する水性のミミズもいて、それはイトミミズと言います。
イトミミズは田んぼに生息する赤い虫で、頭を土の中に入れて有機物や微生物を食べて、尾の部分を土の表面に出してフンをします。それによって縦穴を掘り、ベルトコンベアーのように下層の土を表面に持ち上げながら、有機物を部分的に消化し、土の養分を出やすくして稲に栄養が回るようにするのだそうです。ですから、イトミミズは田んぼのショベルカーとも呼ばれているそうです。
以前、スサノヲは混ぜる神様でもあるとお話しましたが、ここでは一生懸命土を混ぜて栄養満点の田畑を作ろうとしているのだと思います。だから、アマテラスはスサノヲがミミズとして田畑のために働いていると理解して、彼の行動を咎めなかったのだと私は思います。
スサノヲは水の神様なので、特にイトミミズの方に注目してみると、イトミミズは、田んぼのために働いてくれる良き存在ではありますが、じつはデメリットも持っています。それは、畔に穴を掘って田んぼの水を抜いてしまうことです。きっと、このことを「田畑の畔を離す」、つまり水が貯められない状態にしたと言っているのではないかなと私は思います。
ちなみに、もう一つの田んぼの溝を埋める行為は、イトミミズによって行われている行為というよりは、植物が関係しているようなので、それについては別の機会に触れますね。今日は生物に絞って話を進めます。
というわけで、以上のことから、田畑に対するスサノヲの破壊行動は、彼がミミズ的な力を使って一生懸命田畑を耕そうとしている姿だというのが私の考えです。
田んぼは生命のゆりかご
さて、田んぼに絞って思考を深めてみると、田んぼに張っている水は海と似ているなと思います。海は生命のゆりかごと言われていて、田んぼもイトミミズの他に、メダカやドジョウ、ゲンゴロウ、トンボ、タニシ、カエルがいたりと、そこだけで一つの生態系、宇宙を形成しています。だから、田畑も同じく生命のゆりかごと言えます。
また、スサノヲは海原を治めず、死んだ母の国、根の堅州国に行こうとしていますが、根の堅州国は身体宇宙論で言えば女性の子宮の世界だと私は考えていて、子宮も生命のゆりかごと言えます。ということは、生命のゆりかご繋がりで、彼は根の堅州国で発揮しようとしている力を田畑にも与えていると言えるのではないでしょうか?
スサノヲはリュウグウノツカイ説
さて、ここまではスサノヲが持つ土壌または淡水生物という側面についてお話してきましたが、ここからは彼が持つ海の側面についても触れていきたいと思います。これまでのシーンの中で、彼から明確に海の要素を感じ取れる描写があったのですが、皆さんはお気づきでしょうか?
それは、彼が高天原に上るとき、大地が激しく揺れ動いたというあのシーンです。とある海洋生物が水面に浮上してくるとき、天変地異が起こるという言い伝えが古来より日本にあります。その存在とは一体何でしょうか?そう、それはリュウグウノツカイです。これがスサノヲの海洋生物の一側面だと私は考えています。
リュウグウノツカイは深海魚の一種で、赤色の背びれに長いヒゲを持っています。体長は3~5mほどあり、銀色の体をクネクネさせながら泳ぎます。泳ぐときは立ち泳ぎをしますが、遊泳能力は低いそうで、流れに身を任せてしまうため、潮に流されて浜辺に打ち上げられてしまうこともあります。
また以前、スサノヲは水銀の神様でもあり、その水銀の原料は辰砂という赤色の鉱物だとお話しましたが、この赤と銀という色がリュウグウノツカイと共通しているなと思います。
さらに、水銀は不老不死を得られるとされ、時の権力者たちは水銀を接種していたと言われていますが、リュウグウノツカイも同じく、食べると不老不死が得られると言われています。共通点以外では、網にかかると豊漁になるとも言われています。
生まれたばかりのスサノヲが「お母さんの国に行きたいよ」と泣きわめいたとき、ヒゲが胸の先まで届くくらい長い間泣き続けたと言われていますが、たぶん、このときに長いヒゲを持つリュウグウノツカイへと変身していたのではないかなと私は思います。
そんなリュウグウノツカイには、注目すべき特徴があります。それは、自切と呼ばれるもので、敵に追われたとき身を守るため、餌にありつけないときエネルギーを温存するために尻尾を切り捨ててしまうことです。興味深いことに、うけいのときスサノヲの十拳劒もアマテラスによって三つに折られました。たぶん、その十拳劒がリュウグウノツカイであるスサノヲの尻尾だったのではないかなと思います。
父であるイザナキの十拳劒も、日本の国鳥キジの尾羽根だと私は考えているので、リュウグウノツカイであるスサノヲの尻尾も十拳劒というのは、イザナキの要素をまた違った形で継承したものと言えそうです。自らの尻尾を切り落とす自切も、自ら腹を切った父イザナキの行動に似ていますしね。
リュウグウノツカイの尻尾は、一度切ってしまうと再生はしないそうなので、自分の大切な身体の一部である十拳劒をアマテラスに渡した時点で、すでに彼には邪心がないことは証明されているのではないかなと私は思いました。
ちなみに話は逸れますが、もしイラストを描くのが得意な方がいらっしゃれば、スサノヲを擬人化させて描く際は、ぜひ赤い髪の毛で描いてほしいなと思います。
古事記と西洋の神話の違い
ということで、以上の考察を通して、スサノヲは淡水生物や海洋生物、さらには水銀という金属に至るまで、いろんな側面を持っている神様だということがわかったわけですが、神話の思考に慣れていないと、神様が複数の姿を持っていることを理解するのは結構難しいかもしれません。どうやら古事記は、本質を同じくするものは一人の神として語ってしまう特徴があるようです。たぶん、その反対をいっているのが西洋の神話なのかなと思います。
たとえば、ギリシャ神話は数え切れないほどの神様が登場してきますが、ギリシャ神話は本質ではなく、本質から派生しているものをそれぞれ別の神として描いていると私は感じます。だから、あれだけ大勢の神様が登場してくるのだと思います。
でも、そんなギリシャ神話も古事記的思考、つまり本質を通して見てみると、この神様とあの神様は本質が似ていて、この二神を合体させればスサノヲっぽくなるな、ということが見えてくるんですね。
ですから、古事記と西洋の神話には本質で見るか、または本質から派生したもので見るかの違いがあって、古事記は本質で見る神話。だから、古事記を解読する際は本質を見抜く力が必要になるんですね。今日のお話も、生命のゆりかごとしての水という本質から、スサノヲの多様な性質を語ってみたという感じです。
アマテラスの多面性
ちなみに、スサノヲだけでなく、アマテラスも本質を同じくして、いろんな側面を持っている神様でもあるんですよ。アマテラスについても触れてみますね。
アマテラスがスサノヲに驚いて男装したとき、彼女自身も別の何かへ変身したと思われます。何に変身したかというと、それはニワトリ的な存在へです。
まず、すべての鳥に共通することですが、太ももを地面に埋めて、土を蹴り散らすという行為は、鳥の砂遊びそのものです。鳥の砂遊びは、体の寄生虫を落とすために行うものだそうで、そこから想像するに、スサノヲが汚い心をもって上がってくると思って、鳥であるアマテラスが「うわー!汚い!」と砂で体を洗っている様子がイメージできます。
特に、髪をみづらに結い直したことを考えると、鳥の中でもニワトリ的なものに変身したのではないかなと私は思います。みづらは、ニワトリの耳たぶに似ているからです。また、ニワトリは太陽の鳥と言われますが、太陽神アマテラスは金属でいえば金(ゴールド)を象徴する神でもあり、その金はとても重い金属で、ニワトリも鳥なのに重くて飛べません。
昔の日本人の美人に対する価値観の中に、ふくよかな女性がキレイだとするのがありますが、そのふくよかさは、もしかしたらニワトリのようにふっくらしたアマテラスの姿からきているのではないでしょうか?そして、彼女は重くて飛べない鳥。だから、彼女の代わりにいろんな神様が代わりに働くことになる。スサノヲも彼女の代わりに一生懸命働いていますよね。
女性の美しさの条件は、それ以外では、髪の毛が黒く長いものも良いとされ、それで考えてみると、アマテラスはニワトリの中でも、尾長鶏っぽいなと感じます。長い尾は女性の美しい黒髪に見えますし、父であるイザナキの尾の長さも同時に継承している感じがするからです。ちなみに、尾長鶏は国の特別天然記念物に指定されています。太陽の鳥、尾長鶏。うん、いい感じではないでしょうか(これはあくまでもアマテラスの一側面というお話です)。
蛇行剣の秘密(私の妄想話)
さて、ここからは今日最後のお話として、せっかくスサノヲ経由でリュウグウノツカイを発見できたので、それに関連した古代日本の奇妙な儀式に対する私の妄想話をお話して、今日の解説を終えたいと思います。
突然ですが、皆さんは蛇行剣というものをご存知でしょうか?蛇行剣は、古墳時代の日本の鉄剣の一つで、刃の部分がクネクネ曲がっているのが特徴です。2022年に奈良県の富雄丸山古墳で発掘された、全長2.85mの蛇行剣は記憶に新しいと思います。
私は古事記の読み解きを通して「スサノヲってリュウグウノツカイだな」と気づき、それがキッカケでリュウグウノツカイをYoutubeで見ていたときのこと。そのとき、あ!と驚きました。何に驚いたかというと、リュウグウノツカイの泳ぐ姿が蛇行剣そのものだったからです。
リュウグウノツカイは銀色で、その姿はまるで刀のようです。また、クネクネ泳ぐ姿が蛇行剣ソックリ。さらに蛇行剣は、鞘や柄の部分にスサノヲの特徴である辰砂が使われているとのこと。この蛇行剣はこれまでも日本国内でたくさん出土しているそうですが、どういった目的のために制作されたのか、未だわからないそうです。
古事記解読をしている私の勝手な妄想をお話すると、スサノヲのある特徴に人々はあやかろうとして、蛇行剣を制作し埋めたのではないかなと思います。それは、彼がメッセンジャーでもあるからです。
スサノヲが高天原に上ったとき、アマテラスに対して「死んだお母さんの国に行きたいと僕は泣き、そしてお父さんは「ならば、お前はこの国から立ち去れ」と言って、僕のことを追い払ったのです」と、事の詳細をしっかり伝えていました。この姿を通して私は、彼は混ぜる神で、それは伝達するという役目も持っているのかもしれないと思いました。
そして、高天原に上って何やかんやあって、新しい創造のための破壊行為が行われ、良い田畑が出来上がった。ですから、もしかしたら蛇行剣というのは、恵みが欲しいという人々の切実なメッセージを、高天原にいる神々に伝えるために制作されたのではないだろうかと考えました。
天災というのは、いつの時代も人々を苦しめます。古代日本人も、天災で作物が取れないとき、古事記にも描かれる、大地がカラッカラに干からびてしまったとき、人々はスサノヲに頼ったのかもしれません。
スサノヲの化身としてのリュウグウノツカイに似せて作った蛇行剣に、自分たちが今苦しい状況にあることや、高天原の恵みを頂戴したいこと、それを神々に伝えて欲しい、そういった思いをもって蛇行剣を制作し、地中に埋めて祈ったのではないかなと。高天原は天空にある世界ではなく、地中深くにある世界ですからね。
それもこれも、スサノヲがメッセンジャーという性質を持っているから。そして、新たな創造を生み出すために、スサノヲの邪心なき破壊の力でそれを促して欲しいと願ったのではないかなと。リュウグウノツカイは豊漁の力を持っています。恵みの神です。ですから、古代日本人はスサノヲのことをとても頼りにしていたのではないかなと私は思います。
ということで、以上が、蛇行剣に関する私の妄想話でした。信じるか、信じないかはあなた次第!
それでは今日はここまでです。
ご視聴いただきまして、ありがとうございました。
また次回もぜひ聴いてくださいね。
それではまたお会いしましょう!バイバイ!