私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、愛着障害の克服方法②をご紹介したいと思います。
▼ 参考文献 ▼
未解決の傷を癒やす
愛着障害の人の多くが、未解決の愛着の傷を抱えています。
回避型のように心を凍りつかせることで、それに向き合うことを避けている。
不安型のように見捨てられる不安が日々の生活を脅かしている。
統制型のように、周囲の存在をコントロールすることで愛着不安に対処している。
どちらにせよ、本当の意味で安定したバランスのよい愛着スタイルを手に入れるためには、未解決の傷を修復する必要があります。
愛着の傷には、さまざまなものがあります。(一例)
愛着の傷を修復する過程は、それをただ自覚して認知的な修正を施せばいいという単純なものではありません。
いきなり認知的な修正を行おうとしても、強いブロックがかかっているか、厳しい抵抗が起きるかして、簡単に跳ねのけられてしまうのです。
また、いくら本人が前向きに認知的な修正に取り組んでも、それだけでは愛着の傷は癒やされません。
認知的な修正よりも、もっと大事なプロセスがあるのです。
そのプロセスとは、
幼いころに不足していたものを取り戻すこと
です。
幼いころの不足を取り戻す
愛着障害の修復過程は、ある意味、
赤ちゃんのころからやり直すこと
なのです。
私たちはよく「子どもの頃からやり直したい」「幼稚園からやり直してこい」などと口にすることがありますが、そこには深い真実が含まれています。
著者の岡田先生によると、愛着障害を抱えた人が回復していく過程において、幼い頃の状態や問題を順次再現しながら、児童期、思春期、青年期の段階と、成長を遂げていくのを見せつけられ、驚かされることがあるそうです。
愛着障害を抱えた人が良くなっていく過程で、
母親と布団を並べて寝たい。
抱っこしてほしい。
と、言いだすことがあるそうです。
それは、幼い頃の心理状態が再現され、そのとき得られなかった愛情を今与えてもらうことで、傷を癒そうとしているそうです。
傷が回復するためには、まずこの状態が出現することが前提になります。
いってみれば、硬い殻で覆われていた心の傷も、殻の部分が柔らかくなることで修復を可能にする状態が生まれるのです。
せっかくそうした状態になっているのに、本人を突き放すようなことを口にしたり、
何をバカなことを言っているの!
と拒絶してしまうと、再び殻は閉じてしまい、恨みつらみを募らせていくばかりになります。
心が柔らかくなったときこそ、幼い子どものように優しく抱きしめてあげ、失われた時間を少しでも取り戻してあげることが重要なのです。
幼い子どもに戻ったように、駄々をこねたり、わがままを言ったり、親を困らせたりする時期にしっかり付き合うことで、次第に安定を回復するということに繋がるのです。
それははたから見れば、すっかり後退したように思えるときもあるかもしれません。
何が起きているのか意味が分からない人には、ただの「悪化」と映るかもしれません。
しかし、その意味を知る人には、ちゃんとそれが回復の第一歩だということが分かるのです。
この時期に、徹底的に付き合うことが重要なのです。
愛着の傷の修復は時間がかかる
しかし、現実にはさまざまな事情やこれまでの経験から、親が子どもにすべての愛情と関心を注ぎ込んで、とことん付き合うというのは難しいと思います。
そうなると、愛着の傷を癒やすどころか、逆にふたたび傷つけてしまうということにもなりかねません。
愛着の傷は、体の傷以上に癒えるのに時間がかかるから
です。
ましてや、子どもが大人になると、親と別々に住んでいたり、親の体力的、経済的な理由などでこうした修復行為自体が不可能になってきます。
その場合、親に代わって修復に当たってくれる人が必要になるのです。
恋人やパートナーがもっともふさわしいのですが、人によっては治療者や教師、先輩や仲間といったさまざまな援助者がそうした役目を担ってくれることもあるのです。
遊びが持つ意味
愛着障害を抱えた人は回復していく過程で、子ども心を取り戻すという段階を経験します。
夏目漱石は精神の不安定な時期に、よく絵を描いたそうです。
その出来栄えははっきりいって稚拙であり、あれほどの才筆をふるった文豪も、画才には恵まれていなかったことを明かしています。
それでもとても熱心に描いたのは、それが心の安定に役立っていたからなのです。
小説を書くことによっても、解消しきれない何かを、非言語的な表現行為を行うことで解消しようとしたのです。
岡田先生の実例
子どものように甘えようとしたり、童謡や児童向けの本をしきりに求めることもあります。
岡田先生いわく、放浪をくり返した二十代の青年は、幼児向けの「めばえ」という雑誌を購読し、さらに「よいこ」「幼稚園」「小学一年生」と進んでいくころには、安定を回復していったそうです。
その理由を青年は、
幼い頃、そういう雑誌を読ませてもらえなかったから。
と説明したそうです。
そして、何年か幼児向けの雑誌を買いつづけた後には、
どんなものか分かったから、納得した気がする。
もういいかなと思う。
と語ったそうです。
人は子どもの頃に足りなかったものを補うことで、成長の偏りを自ら修正しようとするのでしょう。
そうした不足を知らずに育った人からみれば、そうした行為は一見奇妙に見えたり、滑稽にさえ映るかもしれません。
そこには、そこはかとない悲しみや寂しさであり、満たされない思いがあるのです。
それをできるだけ早い時期に満たしてあげると、ある程度取り戻すことも可能になります。
それが間に合うギリギリのデッドラインが青年期ということになるのかもしれません。
次回は、愛着障害の克服方法③についてお話したいと思います。
▼ 参考文献 ▼