私の宇宙からこんにちは、natanです。
今日は、ヨーロッパから日本が輸入してきた「恋愛」という概念について、ちょっと複雑なお話をしたいと思います。
▼ 参考文献 ▼
日本は誤った恋愛観を持っている
日本は明治に入り、ヨーロッパからあらゆるものを輸入しましたが、その一つに「恋愛」という概念があります。
「恋愛」はヨーロッパで生まれた考えであり、その背景には神への信仰や崇拝、ロマンへの憧れ、そして個人主義があります。
当時の日本にはそういった概念はなく、一神教精神や個人主義もありません。
私たち日本人は、誰かを好きになって、恋仲になることを「恋愛」だと考えます。
しかし、そこには本来「恋愛」が持っている神への信仰心やロマン、個人主義という考えはありません。
なので、結論を言ってしまうと、
日本人は誤った恋愛観念を持っている
ということになります。
日本特有のガラパゴス化
どうしてそうなってしまったかというと、明治や大正の知識人たちが「恋愛」をわかったふりをして、西欧人のマネごとをしたからです。
さらにその上、日本人の誤った恋愛観をそのまま、ヨーロッパの社会学や心理学の枠組みを使って分析し、わかった気になり、それが大衆に広まって、「恋愛はこういうものだ」という一般市民の恋愛哲学が次々と生まれてしまったからです。
いろんな人が混乱した用語法をもとに勝手なことを言って、それが広まっているのです。
日本特有の文化のガラパゴス化
と言えます。
外から来たものが、島国特有の感性、思考体型で受容され、誤解されたまま、謎の発展を遂げ、意味のわからないオリジナルな何かができあがる、ということです。
これは、ある意味ではすごく皮肉な事態です。
なぜなら、明治、大正の知識人は、ヨーロッパの文化を必死で日本に輸入して、彼らの思想を理解し、そこに追いつこうと命を賭けたわけですが、その結果が謎のガラパゴス化だからです。
逆にいえば、だからこそ文化交流、国際交流というのは面白いわけです。
異質な文化が交差する場では、誤解や誤訳、模倣の失敗はいつだって創造的に機能しうるのです。
そうしたガラパゴス化の結果、日本で生まれたのが世界中で大人気を博しているジャパニーズアニメーション、アニメ、マンガなどです。
そこでは「萌え」や「キャラ」をキーワードとした日本独自の文化が生まれ、それが世界に大体的に輸出されていきました。
「個人の意識」を持ち込んだキリスト教
さて、「恋愛」に話を戻すと、個人主義の「個人」とは、フランスの社会学者フランソワ・サングリーによれば、キリスト教的伝統と、中世宮廷恋愛によって生まれた制度です。
キリスト教では、個人と神の関係だけが重要です。
全知全能の神は何でもお見通しです。
ウソはつけません。
その神に対して、どれだけの愛を持てたか、どれだけの信仰を持てたか、というのが救済の鍵を握ります。
つまり、
人目を離れた個人の意識
というものが非常に重要視されます。
とはいえ、中世までは、ヨーロッパの社会は日本の村社会のようなものでした。
相互依存が強く、互助組織がしっかりしていて、人々はコミュニティの中で生きていました。
だから他人の視線が重要だったので、日本と大して変わらない和合主義はいたるところにあったようです。
しかし、キリスト教が個人の意識を持ち込みました。
それにより、現実の世界を超えた、死後の天上の世界、永遠の次元という考え方が生まれます。
個人の意識は、集団の中でいかに上手くやっていくか、という世俗の政治とは違った世界があることを、人々に植え込んだのです。
「真の恋愛」を生みだした中世宮廷恋愛
さらにそこから発展して、中世宮廷恋愛が現れます。
「我が麗しの貴婦人を愛している」という感情は、世俗の結婚の論理を超えていきます。
世俗の論理はあくまで、政治、金銭、権力の話です。
そうした政略結婚の論理を超えて、周囲の反対を押し切って、結婚のシステムの外で行われるのが「真の愛」でした。
そうした恋愛制度のもとで、周囲の視線を無視した、自分たちだけの世界の意識、個人の意識が非常に重要になってきます。
この中世恋愛がロマン主義に発展し、それが革命の進展とともに民衆に行き渡ることによって、個人主義的な方向性がさらに強くなります。
そのようにして、世俗の色恋沙汰の中に、個人の意識、恋愛と本質的に結びついた個人の意識が生まれるに至ったのです。
「個人の意識」という概念が存在しない日本
もちろん、日本にはそうした個人は存在しません。
すべての個人的な意識は、世俗の世界の論理に流されます。
人々はその矛盾の中で苦悩はするのですが、世俗の論理を超えた個の意識は発達しませんでした。
もう少し正確にいえば、個の意識は宗教界の修行僧や、独創的なアーティストの中にはある程度存在したものの、民衆レベルの意識に根を下ろしませんでした。
当然その中で行われる恋愛も、つねに周囲の目を意識し、集団の論理に回収されざるを得ないものであったはずです。
しかしながら、明治後期から大正時代にかけて、西欧的な恋愛の真似事を必死にやっていたのは事実です。
西欧的な「個人」「自由」「平等」「人権」といった思想を輸入し、そうした概念をもとに社会の仕組みを作り上げたのも事実です。
その中で、日本人の心は変わったのか?
これは難しい問題ですが、ある程度は変わった、ということはできるでしょう。
なぜなら、制度がある程度人の心に変化を与える、というのは本当のところだからです。
と同時に、1000年以上の蓄積がある言語文化、コミュニケーション形態や心のありようが、すぐにガラリと変わるとも思えません。
恋愛という制度、個人をベースとした近代的恋愛を輸入した際に、ある程度の個人の意識の芽生えはあったのでしょうが、それは日本特有の言語文化の中に回収され、西欧人には意味不明のガラパゴス化が起こった、と考えるのが妥当でしょう。
では本来、日本ではどのような性愛に関する考え方を持っていたのでしょうか。
次回はいよいよ、日本独特の性愛の在り方に迫ってみようと思います。
次回もお楽しみに♪